温故知新


先週
”食器洗い機”が突然故障して
3日ほど不自由な思いをした
よく考えると
もう10年もこの機械に頼ってきたので
いつの間にか自分で洗わない事が当たり前になっていた

当時は
脳梗塞の後遺症を抱えた義母を介護しており
食事の後で部屋へ連れて行くなどしているうちに
1歳の娘が
テーブルに手を伸ばしてお皿をひっくり返したり
そんなふうに
親や子どもの用事をしていると
いつまでもお茶碗は片付かないままで
いらいらする事が多かった

そんな時に登場したのがこの食器洗い機だった
たいへんなぜいたく品だとは思ったが
これが我が家にやってきてからというもの
それまでは娘のいたずらを防止するために
とりあえず急いで流し場に突っ込んでいたお茶碗を
機械の中に入れて回しておけば
いつの間にかきれいになっているのだから
気持ちもすっかりかるくなった

さて
今でこそかなり普及した食器洗い機だが
これの導入に当たっては
特に高年齢層を中心に
躊躇する場合がけっこうあるのではないだろうか

まず考えられるのが
「主婦がこれ以上楽をしてどーする?!」
という厳しいご意見
不自由な時代を通ってきた世代ほど
”楽をする”ことに一種の罪悪感を感じる傾向がある
自分に厳しいのは勝手だが
これを人にも強要すると摩擦が生じる

次なる疑問は
「水をたくさん使うのでは?」
との不安
これが動いている間は結構にぎやかな音がしているので
ざーざーと水を流しっぱなしにしているように錯覚する
これは我が家でも試してみたのだが
卓上タイプのものだと排水パイプがでているので
そこからでてくる水をためてみたら
驚くほど少量だった

他には
「きれいにならないのでは?」
と思う人もあると思う
日本人は清潔にこだわる人が多いので
もし
ほんのわずかなカリカリさえも許せない人は
使用しない方がいいかもしれない

わたしは特に”新しい物好き”ではないので
新しい電気製品が出ても
「便利なのかな〜?」と思いつつみているだけだが
一昨年前には
以前から非常に興味のあった
”電磁調理器”なるものを導入した
これまでの”ガスレンジ”に比べて
掃除が断然楽だ
掃除嫌いのわたしには夢のような製品

ただひとつ不安があった
「電気代が高いのでは?」
これはむしろ安いくらいだと説明は受けていたが
わたしの頭の中には
”電気=高い”という式がどうしても消えないのだ
人は先入観に弱い
歳を取るごとに
頭はだんだん堅くなって
新しい事が受け入れられなくなってくる
最近息子から
「お母さんは古い」
と言われる
え、、まだまだ若いのだけど・・・(苦笑)

結局これは
実際に使ってみてはじめて
メーカーの言っていたことは本当だった事がわかった

”新製品”は
日夜研究を重ねる人々の
汗と苦労と努力の結晶だ
状況が許されるなら
ありがたく使わせていただきたい

ただし
新しいもの全てが良いわけではない
電気製品の中にも
昔の方が使い勝手が良かったものもある
新しさを追及するあまり
大切な事を見落としてしまうのかもしれない

日本の教育制度は
戦前と戦後では全く変った
多くの人が”戦争アレルギー”となり
戦前にあったものをあれもこれも排除しようとした
人はしばしば極端から極端に走る
新しい時代を作るために
古い時代の良いところまで捨ててしまう
”平等”が行き過ぎて
子どもは親や先生を敬わなくなった
”自由”が行き過ぎて
義務を果たさない人がふえた
”権利”が行き過ぎて
謙虚さや品位というものがなくなってしまった

間違いに気がついた時に
方向転換を計るのは当然のことだが
やみくもにこれまでの全てを否定してしまっては
また新たな間違いを生み出すかもしれない

古いことで良いことはたくさんある
アンティーク(”骨とう品”と呼ぶとちょっと風情がないような・・)の
家具や飾り物は
深い味わいがある
新しいものは綺麗だが
ただ綺麗なだけに過ぎない

庭も
樹木が生長し
長い年月を重ねたところの方が
ただお花を並べただけの即席の庭より
ずっと心安らぐ

絵画も
音楽も
昔の方がよかったなぁと思う
もちろんこれは人それぞれの趣味の問題だが
同じような思いをけっこう聞くので
単なる”懐古趣味”ではないのかもしれない

昔の何が良かったかというと
何の分野にしろ
そこにはもっと”心”があったように感じる
人は”豊か”じゃない方が一生懸命になるが
幸か不幸か日本は豊かになってしまったので
ハングリー精神という言葉はすでに死語になりつつある

新しい時代も
古い時代も
「本当に大切な事」は
いつまでも変らない

様々な人たちの心が積み重ねられてできた歴史には
学ぶべきところも多い



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