今の自分にできること


高校1年の時
父親が白血病で急逝した
亡くなる2日前が50歳の誕生日だったが
「誕生日までには家に帰りたいなぁ」
と言っていた父を喜ばそうと
初めてバースデーケーキを作ることにした

お菓子つくりは大好きだが
まだスポンジケーキには挑戦した事がない
フルーツケーキだったら間違いなく出来るけど・・
一時は無難な方で済まそうかと思ったが
まあせっかくの誕生日だし、と
スポンジケーキにトライする決意をした

いざ始めたものの
生地を作るのも一苦労
火の回りの悪い小さな電気オーブンを使うので
表面は焦げてくるし
やっとのことでできたスポンジ台に
生クリームでデコレーションするも
本のように美しくはできない

やっぱりやめとけばよかったかな・・

何度もそう思いながら
それでも「作品」はやっと完成
何と5時間もかかってしまった

その頃父は
もうほとんど食事が取れなくなっていた
それでも
わたしの作った不細工なケーキは
美味しいと言って食べてくれた

わたしは父の病名を聞かされていなかったので
亡くなってしまった時は信じられなかったが
呆然としながら考えていた

ケーキ作っておいて良かったな・・

あの時わたしは
”今しかできないことがある”
と、知った

当時わたしたち家族はまだ教会へは行っておらず
母はある宗教に熱心になっていた
父が余命幾ばくもないと知ってからは
そこの先生にすすめられて
薬草を毎日大鍋で煎じては
病院へ持って行った
そして
父の元にずっとついていることをせず
せっせと宗教活動をしていた

父の看病もそこそこに
宗教にのぼせる母の姿に
人は呆れていただろう
しかし
そこには意外な真相があった

父は自分の病気のことを知らなかった
なぜ知らさなかったかと言うと
父自身はとても小心者で
「もし不治の病だったら
自分はここ(4階)から飛び降りる」
と母に言ったらしい
母は驚いて
絶対に病気を悟られてはならないと思った

短い命と思えば
誰でもずっと側についているものだ
そうすれば
「本当にただの感染症なのか?」
と父は疑い始めるだろう
まわりに深刻な空気を作ってはならない
自分がのこのこ活動に出かけていれば
きっとそんな程度の病気なのだと安心もする
そのうち帰れると希望を持つ

母はそう思って
父に病気を悟られない事に徹した
そして
最後まで父は何も知らないままだった

自分の妻としての立場を優先すれば
当然母も父につきっきりだっただろう
でも
母は父の気持ちを優先したので
それが人には誤解されても
満足だった

よく延命治療の問題が取りざたされる時
本人の意思と
家族の意思が異なる場合
何を優先するのかが難しいと言われる
頭で考えれば
本人の意思を優先するのが当然だ
しかし
家族の情を断ち切るのは簡単ではない

死に行く人のために
いま自分は何ができるだろうか
母の下した結論は正しかったと思う

「できる時にしておかないと」
が、母の口癖だ
何でも思い立ったらすぐに行動に移す
「いつできなくなるかわからないからね」
そう、本当にその通りだ
人は気づかぬ間に年をとり
いつ死んでいくかわからない

父の仕事は成功し
多くの富も得たが
母は子どもには決してぜいたくさせず
それをまたどんどん仕事に還元し
父には最高級の服を買って
大いにぜいたくをさせるようにしていた
将来に備えての蓄財など考えもせず
父に生命保険もかけなかった

「死んでからもらうお金なんかいらない」

今という時は二度と戻ってこないから
その時その時を精一杯生きていたら
後に悔いが残らない
父が早死にしたのは辛い事だったが
母がそれまでにできるだけのことをしてくれたので
父は十分幸せだったろう
わたしは親孝行をすることもできなかったけど・・

父の事を考えていて思い出した
授業中に父危篤の知らせを聞いて
担任の先生が2千円持たせてタクシーに乗せて下さったが
あれは先生のポケットマネーだったのだろうか
返すのをすっかり忘れていた

自分がしたことはしっかり覚えていても
してもらったことは忘れている事が多いのかもしれない




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