入魂の一瞬


久しぶりに友人のライブ演奏を聴きに出かけた
いつもの”くの字セッティング”されたキーボードの前で
目にも止まらぬというか
耳にも聞こえぬとさえ表現したいような
それはそれは素早い指の動きを見せる彼女は
今回ひときわ気合が入っているように見える
後でそういうと
「あらそぉ〜?」と笑っていたが
まあ彼女にとってはいつも演奏は楽しくて
毎回が一生懸命だから
特に今回がどうのといわれてもピンとこないのだろう

わたしは以前からずっと彼女に
「なんでもっと大きなステージに立たないの?」
と聞いてみたいのだが
逆に
「何で大きなステージに立つ必要があるの?」
と質問されそうで
結局まだ話した事がない

いや、そんなこといちいち聞かなくたって
彼女の価値観というか
その思いは多分わたしと共通しているのではないかと思うが
多くの人が世の中の華やかな部分に目が向くのに対して
こうしてその逆を行く”へそまがり”的存在が嬉しくて
その辺の話もゆっくりしてみたいと思うわけだ

舞台の規模に関わらず
彼女がいつも口にする言葉は
「いやぁ〜、楽しくてね〜」
とにかく何でもいいからこうして演奏するのが一番幸せなようだ
ホントにこの人は音楽が好き
だから自分をアピールするような感じがなくて
ただひたすら音と一体化している

その入魂の一瞬がつくり出す世界は
周囲を圧倒するもので
わたしはそれを今度は息子にも見せておきたいと思う
(娘は以前連れて行ったことがあるので)

観客が多いから気合を入れるとか
少ないから手を抜くなど
そんないいかげんな仕事をするのはプロじゃない
そういう様子を人は必ず見ているもので
「こんな人なんだな」と良くも悪くも冷静に評価する

わたしたちの普段の暮らしの中で
お店、役所、学校、病院、その他色々な場所で出会う人々の対応ぶりは
それぞれの仕事に対する心意気によって異なる
特にこちらが困っている時ほど
丁寧に対応して教えてくれると嬉しいものだし
それが信頼関係のもとになる
反対に
いいかげんな扱いをされると二度とそこには行きたくない

せっかく苦労して取得した資格あるいは仕事
いや、それが仮に好きな仕事ではないとしても
縁あってついた職業ならば
普段は少々ちゃらんぽらんでも
ここぞという時には心を注ぎ出だす気持ちがあって欲しい
周りが喜べば
自分も嬉しい
結局はすべての事は自分に返ってくる

わたしが思いつきで始めたこのHPも
定期的に見てくださる方が結構あって
その中には『今週のみことば』を楽しみにしてますという方が何人かある
時々このページの内容について
”ホームページに載せるために
実際の礼拝とは異なる特別な原稿を作っているの?”
”先週の内容を一週間後に載せているの?”
などといった疑問も寄せられるのだが
うちの教会には礼拝のための原稿というものがなく
牧師である夫はいつも行き当たりばったりで話すので
当然前もってHPに載せる原稿を準備するわけにはいかない
だからいつも
午前と午後の2回行われる礼拝のお説教の内容を細かくメモしておいて
それをその夜すぐに文章にして出している
これは想像よりもかなり大変な作業で
あの程度の文章でも書くのに2時間もかかることがある
礼拝では毎回必ず伝えたいポイントがあって
その気合を入れている瞬間を的確にとらえて表現しなくては
ちゃんと伝えた事にならないから
ここで手を抜くわけにはいかないのだ

もしわたしが上手くごまかして
前もって色々それらしい原稿を用意して出せば
形はそれなりになるし、楽だけれど
いつも読んでくださっている方々にはすぐにわかると思う
やはり正直さをモットーにしてやっていきたい
読者の多い少ないに関わらず
この姿勢だけは守っていかないとね、と
今回友人の演奏を聴きながらあらためて教えられた

実は近いうちに掲示板を設置しようと計画しており
画像が貼り付けられるものを今探している
題名は『バラと土の掲示板』(仮名)と
まあ、ガーデニングが主な内容になるだろうが
他にも色んな楽しい話や面白い情報交換ができたらいいなあと思う

この「ぶどうの樹」という小さな舞台が
わたしにはちょうどよく
また楽しい


PS. 結局この翌日掲示板『ぶどうの樹掲示板』がオープンしました



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