父から息子へ


夫は昨日
中古カメラ屋で
古いプラモデルを買ってきた

なぜカメラ屋でプラモデルなのか

夫によると
カメラ好きの人は
たいてい時計も好きで
ついでにプラモデルも好き
という式が成り立つらしい

このカメラ屋の常連客が
家を建てて引越ししたのはいいが
それまで持っていたプラモデルの山をしまう場所に困り
奥さんから
「捨ててしまいなさい」
と叱られてしまった

昔から
いつかは作ろうと買いためていた品々は
今や製造中止になったものも多く
出すところに出せば高く売れもするが
それも面倒なので
なじみのカメラ屋さんのところで
買った当時の値段で売ってもらおう
ということになったのだとか

子どもの頃からプラモデルにはまっている夫が
こんな”お宝”を見逃すわけがない
大きなふくろに救済した品々をつめて
嬉しそうに帰ってきた

さて
うちにはこの単なる古い”おもちゃ”を
貴重な”お宝”と呼ぶ人間がもうひとりいる
言わずと知れた息子だ

この息子は小さい時から
父親が何か作ったり修理したりする時には
必ずそばについてそれをじっと見ていた
おもちゃをよく壊しては
直してもらっていたが
どんなに壊れていても
たいていが何とか使えるところまで修理していたので
父親の技術は
息子にとって
絶対の信頼があった

そのうち
父親の部屋に入っては
”ゴミ箱あさり”をして
使えなくなった何かの部品などを
よく自分のところに持ち込んでいた
本棚や押入れをそっとのぞいては
車や飛行機などの憧れの模型を見つけて
それはそれはうらやましがっていた

自分でプラモデルを作るようになってからは
父親にほめてもらえるレベルを目標に
作品作りに取り組んできた
性格的には母親に似て
”雑”で”いいかげん”なので
いつも仕上がりがいまひとつで
なかなか評価の対象にはならなかった

何度も
「あせって作るな」
と言われ
最近はかなり丁寧に作るようになった
細かい部分の塗装の技術も向上し
はじめて
「上手くなった」
と認められた

生まれ持った性格は
どうせ死ぬまで治らないのだと思っていたが
その気になると
かなり良くなるらしい
わたしは
”雑”で”いいかげん”を今まで通してきたので
いまになって
庭つくりを通して
性格改善を余儀なくされている
息子に一歩出遅れたかもしれない

こうして息子は
趣味も価値観もだんだん父親にそっくりになってきた
”けっして後ろを振り返らない性格”は
もともと共通しているが
だんだんそれも顕著になってきた

父親は機嫌がいいと
息子に色々と”うんちく”を話してくれるので
それがまた楽しみでもある
乗り物関係には非常に詳しく
特にこれが軍事関連ともなると
常に新しい情報にアンテナを張っているので
評論家みたいに色々説明してくれる

たまにテレビのロードショーを一緒に見ているが
以前は見ながら息子があれこれ父親に話しかけていて
機嫌の悪い時には
それはとても面倒でわずらわしいものなのだと教えたら
それ以来
父親とテレビを見る時は緊張するようになった

ある時息子は妹に話していた
「いいか
お父さんとテレビを見る時は
”気合”を入れて見るんだぞ」

妹の方は
父親と緊張関係にあるわけではないので
そんなことを言われても
「なんで〜??」
だったが(笑)

父親と息子の関係を見ていると
師匠と弟子の関係みたいだなと最近思う
何度かこっぴどく叱られて
ずいぶんと痛い目にもあってきたが
それでも”気合”をいれてついて行く

父親の読む本は端から息子に渡り
工具をわけてもらったり
たまには押入れに眠っているプラモデルももらった

そして今回
カメラ屋から救済してきたプラモデルの一つを
息子に見せると
驚いて興奮した様子だった
それは
息子がずっと欲しいと思いつつも
すでに製造中止であきらめていたものだったらしい

こうして弟子は
師匠から新しい課題を与えられた

最近では
ふたりでかなりマニアックな話をしている
わたしはすっかり蚊帳の外だ
こうして父から息子へ
単なる情報だけでなく
目に見えないものが受け継がれている

ただし
聖書の話をしているのは
見たことがない(笑)



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