気ままな継続


先週息子が
「ラジオ体操を録画しておいて」と言う
『第二体操』を覚えてくるという体育の宿題があるのだが
6時半にはすでに息子は出かけているので見ることができない
宿題ならば仕方がないと請け負って
早速ビデオに録画する

6時過ぎに息子が出かけると
娘が起きてくるのを待ちながら朝食を食べ
6時半にはすでに終っている
ビデオを撮りながら体操を見ていたが
どうせなら一緒にやってみようかということになり
母と一緒にやおら体操をはじめた
今は昔ながらのラジオ体操と一緒に
『みんなの体操』という新バージョンがあって
これが堅くなった体には結構気持ちがいい
背筋を伸ばしたり腕をまわしたりする運動が
普段前かがみの姿勢になりやすいわたしには向いているようだ
こうして最近は毎朝6時半になると体操をしてる
これってとても健康的な感じがしてちょっと楽しい

元気なお年寄りが
毎朝ラジオ体操を続けていると言う話はよく聞く
「継続は力なり」
何でも続けるのは大切な事だと思う
でも
どうしても続けなくてはならないと思うと
それはやがて心の重荷になる
日常には
どうしてもしなくてはならないことが色々あるので
それを増やすとストレスも増す
だから最近は
”気ままな継続”ができたらいいなあと思うのだ

10年位前になるだろうか
ふと思い立って
ボールペン習字の通信講座を受講した事がある
期間は一年足らずだったが
住所と名前くらいきれいに書けたらいいなあという
はじめの目標は一応達成した感じがした
しかし
いざ講座が終了してしまうと字を書く機会はそれほどなく
そのうちワープロを使うようになったので
ますます手書きには縁が遠くなっていく
そして気づけばまた元のクセ字に逆戻り、、、
その後
こういうものは定期的に習い続けていないと
一時的にメッキしただけではすぐに地金が出てしまうものだと
新聞か何かに書いてあるのを読んだ
やはり継続は力か(ため息)

昔からやってみたいことは色々たくさんあるけれど
いざ手を出してみても
途中で面倒になって投げ出すものは多い
はじめたばかりの時は夢と希望に満ちていて
すでに自分がある程度”できる人”になっている姿を想像してしまう
ところが現実は”できる人”には程遠く
その失望感があきらめを誘う
ならば
はじめから自分のレベルをずーっと低く設定すれば失望も少ないかな
レベルの高い事を無理して続けるよりも
続けられるようなことを続けるのがいいのかも

いつか雑誌にバレリーナの森下洋子さんのインタビューが載っていて
その中で語られる彼女のずっと続く変わらぬ日常には
やはり常人とはレベルの違うものを感じた

「練習を一日休めば自分にわかり
二日休めばパートナーにわかり
三日休めば観客にわかる」
だから一年中休みなしに練習を続けるのだと言う

何か大成する人というのは
もちろん才能の問題も大きいけれど
自分に課するものも大きい
それを努力と忍耐で乗り越えることも
また才能がなければできないなあとも思う
努力すれば何でもできるかといえば
現実はそんなに甘くはない
わたしのような凡人は
自分のできる範囲で何でも細々と続けるのみ
それでも
何もしないよりは少しでも得るものがある
わずかながら上達も期待できるかも

今、夏野菜の苗をぼつぼつ植えながら
今年は何だかとっても上手くいきそうな気がしている
一年を通じて気ままに続けてきた野菜つくりも3年目
はっきりした確信はとてもないが
年々手ごたえというものを感じているわけだ
コンテナ栽培という限られた箱の中での野菜つくりでも
続けているとだんだんコツがつかめてくる

自分に見合った方法で
自分にちょうどいいペースで
それでもすこしずつランクアップを目指して進むには
常に自分の技量と向き合う必要がある
思えば
今までずいぶん自分に期待しては裏切られてきたものだ
時々振り返ってそう思う

本格的なバラの季節を目の前にして
毎朝庭へ出るたびに
期待と不安が複雑に入り混じる心境になる
以前の栽培方法を変え
自分流で育てるようになってはじめての春
日に日に大きくなる蕾を見ながら
上手くいきそうなものと怪しいものとの差が見えてくる
ものごとそんなに一度に上手くいくわけがない・・・
そう自分に言い聞かせながら
今は試験の結果を待つ気分だ






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