快適な空間


冬の一時期をのぞいたほぼ一年中
毎朝玄関周りの掃除をして花に水をやるのが
わたしの日課となっている
どんなにハイペースで頑張っても
最低一時間はかかるこの仕事
時間のない時にはもちろん焦るものの
やってる最中はつい時間を忘れて楽しんでいる

家の掃除は嫌いなくせに
なぜ庭の掃除は好きなのか
それは
庭は常に変化と成長があるけれど
一定の状態を維持するだけの家の掃除は退屈で
かつ限りなく続くものだから

快適な住まいのためのお洒落な雑誌を見ると
それはそれは夢のような空間がそこにはある
手作りのテーブルクロスやマット
椅子には刺繍の入った座布団
棚の目かくしには可愛いプリントやレースの布で作ったカーテン
家電製品にはキルトのカバー・・・

わたしも若い頃にはこういう暮らしに憧れて
椅子の座面をきれいな色のインド綿の布で張り替えたり
ちょっとでも小奇麗に見えるように
家具をあっちこっちに移動したり
雑誌やテレビから受けたイメージを理想としながら
いつもごそごそしていたものだ

ところが
せっかくのインド綿の座面も
食べこぼしなどでやがてシミだらけ、、、
何しろ当時まだ幼かった息子はとんでもない行動派(?)で
牛乳の入ったコップを
自分で「ぽいっ!」と言いながら後ろに投げたりするわけで
座面のみならず
家具も壁も色んなシミのオンパレードなのだった
加えて
家の中で乗り回す愛車(子どもがまたがって乗る車)は
あちこちで衝突事故を起し
今もその事故の痕跡は家中に残っている

やがて座面は味気ないビニールに張り替えられ
お洒落な空間はただの夢物語となる
せっかくの可愛いトイレマットもしまいこんだ
これがあると”じゅうたん”だと思うのだろう
どうしても息子がスリッパをはかないのだ
その上トイレマットのタオル地の感触が気に入ったのか
寝転がってみたり、、、

幼い子どもだけではなく
家に病人が出ると
やはり常に後片付けや掃除がつきものとなり
ますます理想の暮らしからは程遠くなるのだった

先日
「いつも物事が思うようにいかなくていらいらしてばかり・・・」
という専業主婦の人と話をする機会があった
ご主人がかなりきれい好きで
整理整頓がきちんとなされていないと機嫌がよくない
また奥さんの方もご主人とは違った面での生活のこだわりがあって
両者をあわせると
一家の中には”必ずこうしなくてはならない”という掟がかなりある
それを全てクリアするには時間も気力も体力も必要となり
加えて子どももまだ小さいので
現実的には理想になかなか近づけないようだ

「息子が”お母さんはいつも怒ってる”っていうんですよ」
ついいらいらして子どもに当たってしまうことも少なくない
せっかく快適な空間を得るために頑張っているのに
それが原因で家庭が不快な雰囲気になっている
この矛盾はいったいどうしたらいいのだろう

人には生まれ持った感性と
それぞれ環境によって育まれた価値観がある
こういうものは
”捨てる事”も”譲る事”も難しい

「子どもには泣きながらでも野菜は絶対一口は食べさせてます」
そう聞くと
親としてちゃんと務めを果たしているようにも感じるが
(そういう安心感があるが)
心理的なものと消化の問題は関連していることを思うと
じゃあその一口の野菜は体にどれほどの益となっているのか?
との疑問もわいてくる
また
”一口の掟”を死守する事に傾けられるエネルギーは
いかに親子のストレスになっていることだろう・・・

「時々”野菜お休みの日”なんてのもあっていいんじゃないの?」
冗談交じりにわたしはそう言いながら
背負い込んでいるものをちょっと下ろすように勧める
あまり一生懸命になると
ついには病的となるのが怖いから

いや本当に
自分で作った掟にのまれて
掟に振り回されるようになる現実は多くある
自分で掟をコントロールできるうちは良い
それがやがて”不安という敵”に追われるようになってくると
お休みする事で取り返しのつかない事態になるかのように
思い込んでしまうのだ

清潔にしないと・・・
テレビや雑誌でやたらと聞く宣伝文句にひかれて
つい”薬用”の文字の入った石けんに手が伸びる
本当は通常の石けんで汚れは十分落ちるのに
強力なものが発売されるとまたそれに走る
いつしか完璧を目ざすがあまり
ついには洗っても洗っても満足しなくなる
こうして手を洗うのが止められない病気になっている人がたくさんいる
その実態は想像以上に深刻だ

生きていくために
また人間としての必須の掟(常識)は色々ある
それらを覚えて(子どもに教えて)
守っていくのはそれだけでも大変だ
その上自分のこだわりを持ち込もうと思ったら
かなり数を限定しないと
大事な事がお留守になって
いつの間にかどうでもいいようなことに必死になっている事がある

また
自分のこだわりを優先すれば
自分は快適だが
周りの価値観が違う人にとっては不快かもしれない
お部屋の匂いが消えると宣伝している消臭剤も決して無臭ではなく
スプレーしている本人は安心感から納得していても
その消臭剤のニオイの方が
部屋の匂いよりよっぽど不快というケースは多々ある

たとえTVの宣伝で
”あなたのおうちはにおってませんか?”
などとあおられても
自分の家の匂いは自分(家族)が良ければそれでいい
快適な空間はあくまでも自らが快適と判断するものであって
他人の価値観にあわせるのはちょっとどうかなと、、

結局今の世の中は
情報から他人の価値観が押し付けられやすく
本当に自分が心地よいと思うようには
なかなか行動できないのではないか
自由なようで
実はわざわざ不自由な暮らしをしているのかもしれない
とも思うのだ

雑誌に見るお洒落な暮らしも
能力的にそれを自然にさらっと実行できる人はいいけれど
また
それを心から楽しんで実行できる人はいいけれど
(わたしも含む)そうでない人は
それなりに自分が「この程度でまあいいか」というところで
納得しておいた方が良さそうだ

ちなみにわたしなど「この程度で」のレベルもかなり低くて
お庭は大好きだから出来るだけ手を入れているけれど
家の中はそれなりだ(苦笑)
今日はせっせと窓を拭きながら
いつもこのくらいにしておけばよいものを・・・と
自分自身につぶやいた

ある程度散らかしてから一気に掃除するのが性にあってるのか
このスタイルがすっかり定着してしまっているのだが
息子がなんともよく似た事をやっている
一方、娘の部屋はいつもきれい
だが
娘はお風呂に入るのがあまり好きじゃない
反対に息子は早起きして朝シャンまでするほど
毎日お風呂は欠かさない
それぞれにとって快適な空間は異なる

お昼にそうめんをゆでていたら
母が”畑”からささっと
ネギと青ジソを採ってきた

「昔からこういう暮らしに憧れててね」

ここでは気負うこともなく
また何の掟があるでもなく
自由気ままに
それでもちゃんと目標を持ちながら
収穫の楽しみも味わえる

雑誌に見るお洒落な”キッチンガーデン”のイメージからは程遠い
米袋などを利用した野菜つくりだが
結局こんな感じがうちには一番にあっているのだろう
気分的に無理がない分気持ち良い
このささやかな”畑”は
母にとってきっと一番快適な空間だ




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