台風の思い出


このたび大型の台風が来ると聞いて
まず何より心配したのがトマトのことだった
バラはもうピークをとっくに過ぎてしまったが
鈴生りになったトマトはこれからがお楽しみの収穫期
”これはもう家に入れるしかない”
そう判断して
ひとつひとつの苗をそ〜っと運ぶ



2001年にお庭をリニューアルして以来
まだ大きな台風が来たことは無い
そのたびに色々と対策をとりながらも
幸いその苦労はいつもたいてい必要なかった
それでも
台風には想像を越えた恐ろしさがあることを
12年前の大型台風襲来で知ってからというもの
あれがきたらお庭は全滅との覚悟も心の中にはある

あの日はちょうど夫が教会行事で留守をしており
わたしは当時2歳の息子と4ヶ月の娘をお風呂に入れていた
外はごぉーーっというすさまじい風の音
窓ガラスがびりびりと鳴る
そして停電
怖がって泣く息子をなだめながら
手探りで寝室へとたどり着き
子ども達を寝かしつけた

まだ夕食の後片付けもしていなかったので
懐中電灯をもって部屋を出たところでドアチャイムが鳴った
”え?こんな時に誰??”
おそるおそる出てみると
そこにはいつも教会へ来ている女性が立っていた
仕事から帰ってきて駅へおりたらこの暴風
ひとつしかない公衆電話には列が出来ている
とにかく家に電話をしたいのでということで教会までやってきたのだ

さっそく電話をかけたものの
お兄さんから「この状態では恐ろしくてむかえには行けないよ」と言われ
彼女は途方にくれている
これはもうわたしが送って行くしかないか・・・
わたしの頭の中にはその選択肢しか浮ばなかった

外へ出ると
大きな樹は傾き
教会の集会案内の看板も
半分はずれて今にも飛んでいきそうだ
車のドアをあけると
ひとりの力では閉めるのも大変なほど
その暴風は想像を絶するものだった

停電のために
外の明かりは車のライトのみで
照らし出された範囲に
色んなものが飛んで行くのが見える
そして
突然大きな波板が目の前を横切った
あんなものまで飛んで行くなんて、、、
もう恐ろしくてとにかく早くたどり着かねばと道を急ぐ
団地に向かって山の中を通ると
大きな樹が倒れて道をふさいでいた
これを乗り越えるのはとても無理なので
彼女と二人で車を降りて樹を移動させる
やっと車一台通れるスペースが出来たが
車に乗ってドアを閉めようにも今度はびくともしない
このまま風でドアがちぎれてしまったらどうしよう、、、
そんなことも現実にありうる状況の中
風が一瞬弱まった時にドアはしまった

ここから彼女の家まではもうすぐだ
無事に送り届けて一安心
でも
わたしには帰り道がわからないので
(真っ暗でどこをどう通っているのかもわからなかったので)
どの方向へ行けばいいのかを彼女に尋ねた
「今曲がってきたところをまっすぐ下りたら国道に出ます」
ああそこまで出れたら大丈夫だ
というわけで発進

ところが
国道が見えるところまで下ってきたところで
想像もしていなかったような大きな問題に突き当たった
国道に出る手前にある踏み切りが鳴っている
よく見ると
『故障』と書いてあるのだ
その向こうにある国道は海岸沿いを走っており
高波のために道路は水浸しで通行止め!

目の前が真っ暗・・・という表現はこういう時のためにある
車のライトを消せば
そこには警報機のランプ以外には何の光もない
この時ふと家のことが気になった
子ども達はあのまま寝ているだろうか
もし家に被害があれば
目の見えない義父母はどうするだろう

こんな時に出てくるべきじゃなかった・・・

この時は本当に泣きたい気持ちだった
お祈りしながらとにかく元の道へ引き返す
団地の中の迷路のような道から抜け出すにはどう行ったらいいのだろう
途方にくれてゆっくり走っていると
はるか向こうに一瞬ライトが見えた
あれは車だ!
そのあともう一台が過ぎていく
あの辺に大きな道があるに違いない

そのまま一気に坂道をのぼると
その大きな道には次々車が通っている
国道が通行止めになっているのでみんなここを通っているのかな
ならばここを走れば家まで帰れる

それからはたくさんの車と一緒に
明るいライトの中を進み
そのうち見慣れた風景も周りに見えるようになった
そして無事帰還

帰ってみると子ども達はよく寝ていた
家には何の被害もなく
わたしの帰りを待っていた義父母も安心したようだった
そして
気がつくと
あの暴風はすでにかなりおさまっていた
どうやらわたしは
一番風のひどい時に出かけていたらしい

あの時ちょっとおさまるのを待っていればよかったのに・・・

翌日の新聞には
瞬間最大風速59メートルの文字があった
あの今にも飛ばされそうな風は
いったいどのくらいだったのだろう

あれだけの風の中
倒れた樹をよけるために車を降りたり
その間色んなものが飛んでいたわけだから
わたしも彼女も無傷だったのは奇蹟のようなもの
あの時「わたしが送るから」といったら
彼女は確かに喜んだけれど
わたしの選択は間違っていた

”自己責任”という言葉が盛んに取りざたされた時
それはわたしの耳には痛かった
あの後、彼女からは「大変お世話になりました」と感謝されたが
それは何事もなかったからで
もし彼女がけがでもしていれば
それこそ送るといったわたしの責任だ

”良い事”と”できる事”は違う
わたしはある意味”おめでたい人間”なので
先のことまで冷静に判断していなかったのだ
そして
世の中には想像を越えた恐ろしいことがあることも知らなかった

若い時には
やれば何でも出来るような気がする
でもそれは
自分に力があるからではなく
自分の力を知らないからだ

そんな大それた事でなくても
自分にできる事はいくらでもある
あの台風以来
わたしは物事をよく考えるようになった

さて
このたびの台風は結果的には何事もなかったが
家に入れたトマトはまた出さなくてはならない
またしても、そ〜っと運び出す

「この野菜でうちは助かってるよね」と娘が言う
こういう主婦的発言ではなく
もっと夢のあることをいってほしいような気もするが
確かにこのトマトはうちの大事な食料なのだ
一本の苗にだいたい20個くらいのトマトが生っているので
6本の苗で単純計算して120個
これをお店で買ったら結構なお値段よねと
思わず嬉しくなるわたしはやっぱり主婦の中の主婦

わたしに発想が似ている娘とは反対に
息子は
「トマトよりも牛を飼おうよ〜〜」という@@
野菜よりは肉にしてくれ、というのだろうか、、、
実に現実的で
それでも一方では夢のある発言のような気もする
いやさすがに牛はムリ
うちにはトマトくらいがちょうど良い





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