それぞれの運動会
今度の日曜日には
娘の小学校最後の運動会がある
応援団に入って大きな旗を振る団長をやりたかったらしいのだが
残念ながらくじではずれてがっかりしているものの
最後の見せ場「組み体操」がちゃんとできるかどうか
毎日そわそわしているようだ
さて
運動会ではずっと昼食は親子が別にとっていたのだが
突如今年は親子で一緒の昼食タイムを作るので
保護者は必ず参加するようにとのお達しがある
うっそぉ〜ここまでせっかく上手くいっていたのになぁ・・
ついでなら娘が卒業してからにしてくれればいいものを
などと思わずグチも出る
運動会は通常土曜日か日曜日にある
教会は土日はお休みではない
特に子どもたちがまだ保育園の頃には
必ず教団の行事と運動会の日程が重なって夫は留守
当然わたしは教会の仕事があるので運動会へはいけない
保育園の運動会には
プログラムの中に「親子競技」があるので
あらかじめ先生に親代わりになってもらうよう頼むのが常だった
ただ一度
雨のために運動会が月曜日になり
その年はちょうど二人の子どもがどちらも保育園だったので
それぞれと一緒に手をつないで競技に参加した
息子が開会宣言をする姿もちゃんと見た
今その頃の事を子どもたちに聞いてみても
そういえば先生と走っていたな〜と一応覚えてはいても
親が来なかったから寂しかったとか
特にそういう思いはないようだ
「うちはそういうもの」
それぞれの家庭にはそれぞれの事情というものがあり
それは子どもなりに当然のこととして受け止めなくてはならないし
子どもって結構自分でちゃんと納得している
わたしが小学校の頃には
運動会の時には親子で一緒にお弁当を食べるのが慣わしだった
きっと母は毎年きてくれたはずなのだが
今その時の事を思い出そうにも
どうも具体的な場面が現れてこない
親は忙しい中来ていても
子どもの記憶なんてこんなものだろうか
一方夫は両親が目が見えないので
運動会の時でも一度も親が来たことはない
それでも必ず親が来ない仲間が何人かいて
その子達が一緒にお弁当を食べていた
保護者の中には気を使って一緒にどうぞと誘ってくれる人もあったそうだが
いつも断っていたらしい
世間から見ればこういう子どもは「かわいそうな子」なのだが
夫にとっては自分をかわいそうとは思わなかったという
なぜなら
運動会の前日には父親がカラフルな駅弁を買ってきてくれるので
ふだん”色のきれいな食事”とは無縁だった夫で見れば
そのお弁当があるだけで嬉しくて仕方がなかったのだ
その後
いつの間にか運動会での親子一緒の食事はなくなっていた
色んな事情で親の来ない子どもを配慮してのことだが
それが今回復活するという
その理由は
「親子で思い出を作って欲しいから」
だそうだ
だからそのために親は万難をはいして参加しなくてはならないらしい
娘に「一緒に食べるんだって〜」と話したら
「えー?!せっかく友達同士で食べようと思ってたのに」
「悪いけどお母さん、6年生は忙しいからあまりゆっくり付き合えないよ」
といわれてしまった
小学校の運動会は
これまでたいてい午後からだけ見に行っている
お昼時に親がいるなんて娘の計算にはない
本心を言えば
親が来てくれた方が嬉しいと思うのだが
だからといって
来なければなさけないとも思わない
こうして子どもたちは自分の環境に順応していく
こういう場合親は子どもに謝ってみたりもするのだが
わたしは事情は説明しても特に謝ろうとは思わない
話せば子どもは意味がわかる
それが毎度のことならば
言わなくったってちゃんと知っている
親子はそういう関係でありたい
一時期は親が来ない子をふびんだと中止になっていたことが
今度は子どもの思い出つくりのために復活する
世間はいつも子どものためにと色んな案を出すが
そんなに気を使わなくても
子どもは結構自分なりに強くなれるものだし
その持っている力をもっと信じてやってもいいのではないかと思う
それでもこのたびは時間が許せば
一応昼食時に間に合うように出かけてみようかと思っている
娘にふられると一人でお弁当を食べるのもわびしいから
友達のお母さんにご一緒願う予定
久しぶりに娘の成長した姿をゆっくり見せてもらおう
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