今週のみことば
7月9日
「そのときパリサイ人たちがきて
どうかしてイエスを言葉のわなにかけようと、相談をした
そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた
『先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真理に基づいて神の道を教え
また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています
それで、あなたはどう思われますか、教えてください
カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか』
イエスは彼らの悪意を知って言われた
『偽善者たちよ、なぜわたしをためそうとするのか
税に納める貨幣を見せなさい』
彼らはデナリ一つを持ってきた
そこでイエスは言われた『これはだれの肖像、だれの記号か』
彼らは『カイザルのです』と答えた
するとイエスは言われた
『それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』
彼らはこれを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った」
(マタイによる福音書22章15-22節)
ここに登場する「ヘロデ党の者たち」とは
ヘロデ王家を支持するユダヤ人のグループですが
正統的なユダヤ人ではなく、政治力でその身分を手に入れた者であり
パリサイ人と敵対関係にありながらも
イエスを迫害することにおいて両者は結託していました
そして、彼らは早速イエスを陥れようと言葉の罠を仕掛けます
しかし、イエスは彼らの心を見抜き
カイザルへの税金について『カイザルのものはカイザルに返す』ことを教えると共に
『神のものは神に返す』ことも教えました
デナリ貨幣にはカイザルの肖像が刻まれており
それによってその貨幣が「カイザルのもの」とされるように
神のしるしが刻まれたものが「神のもの」
つまり、神によって創造された人間は神のものなのです
人は神によって土から造られ、その鼻に息を入れて生きる者とされました
その人類創造の時代からどんなに長い時が過ぎても
人が神のものであることには変わりありません
いくら神を信じない人が多くいても
神が人を造ったことは変わらないのです
そして、神のものである人間は、神のもとにかえるべく
洗礼と聖霊との救いを受け
神の花嫁にふさわしく、神に喜ばれる者として
その心をやわらかくし、整えられていかなくてはなりません
「そこに大路があり、その道は聖なる道ととなえられる
汚れた者はこれを通り過ぎることはできない
愚かなる者はそこに迷い入ることはない
そこには、ししはおらず
飢えた獣も、その道にのぼることはなく
その所でこれに会うことはない
ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む」
(イザヤ書35章8-9節)
今年の年頭のみことばは
「神われらにその道ををしへ給はん。われらその路をあゆむべし」(イザヤ書2章3節)ですが
神が各人に開いてくださる「その道」は
神によって救われた者(あがなわれた者)のみが歩む道であり
聖なる道として神が神が守り導いてくださる道です
もしそこが自分の意図しない方向であれば
不安もあるかもしれませんが
神が開いてくださる道は、神の導きに従っていけば必ず幸いにたどり着くのです
「神のもの」であるわたしたちの歩みは
けっして自分の頑張りによるのではなく、みことばの知恵に頼っていくもの
自分で光ろうとする必要はなく
神によって光らせていただけることを経験するのが大切です
神とはどのような方で
神の前に自分がいかなる者かがわかってくると
自分が「神のもの」であるとの意味が理解でき
自ずと自分の行動も制するようになるでしょう
「ああ主なる神よ、あなたは大いなる力と
伸べた腕をもって天と地をお造りになったのです
あなたのできないことは、ひとつもありません」
(エレミヤ記32章17節)
「人にはそれはできないが
神にはなんでもできない事はない」
(マタイによる福音書19章26節)
天地創造の主である神によって導かれる人生には
人の知恵の及ばない不思議が満ちています
人からどう思われるかと恐れる生き方ではなく
自信をもって神の開かれる道を進み
真の幸いを平安を喜びを得て、感謝していきましょう
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