今週のみことば


12月26日


「エフライムの人々はギデオンに
『あなたはミディアンとの戦いに行くとき、わたしたちを呼ばなかったが
それはどういうことか』と言って、激しく彼を責めた
ギデオンは答えた
『あなたたちと比べて、わたしが特に何をしたというのか
エフライムに残ったぶどうは、アビエゼルが取ったぶどうよりも良かったではないか
神はミディアンの将軍オレブとゼエブをあなたたちの手に、お渡しになったのだ
あなたたちと比べて、わたしに特に何ができたというのか』
彼がこう語ったので、彼らの憤りは和らいだ」
(士師記8章1-3節)

神の導きにより
ギデオンが300人の勇士と共にミディアン人と戦って勝利した後
追撃のための援軍として呼ばれたエフライム族の人々は
なぜ自分たちを初めから呼ばなかったのかと
ギデオンを激しく責めました
大きな部族であるエフライムにとって
ギデオンの所属するアビエゼル族という弱小部族が活躍するのは
実に面白くないことだったからです

この戦いは神によるものですから
勝利の栄光も当然神のものであるわけですが
人間はどうしても自分が栄光を取りたくなるものです
エフライムもこのままでは自分たちの面子が立たないと思ったのでしょう

そこでギデオンは神の知恵によって
エフライムを喜ばせることを言って彼らの心を和ませます
”エフライムに残ったぶどう”は”アビエゼルが取ったぶどう”よりも良かった
つまり
ギデオン率いるアビエゼルは最初から戦ったけれど
最後に敵の二人の将軍を捕えたのはエフライムでしたから
神はエフライムの面子が立つようにして下さっているのです
それに比べギデオンが何かもっと大きな功績を上げたわけではないと聞いて
エフライムの人々は落ち着いたのでした

ギデオンにとって
ミディアン人との戦いはまだ終わっておらず
ここで同じイスラエル人であるエフライムと
もめ事を起こしている場合ではありません
彼には自分たちの面子よりもイスラエルの勝利の方が優先ですから
冷静に行動することができたのです

わたしたちも様々な場面で「面子の戦い」と遭遇する時
どのような行動をすればいいのか
ここを読むと分かるのではないでしょうか
自分の面子よりも、今一番大切なことは何か
そこを冷静に考えて神の導きに従っていける人は幸いです

こうしてミディアン人との戦いはイスラエルの勝利に終っていきます
するとイスラエル人は神よりもギデオンを賞賛し
ギデオンと彼の子孫にイスラエルを治めて欲しいと願いました
しかしギデオンは
「主があなたたちを治められる」(23節)と言って
神に栄光を帰しました
ここまでのギデオンの行動はずっと神に従ったものでした

ところが
イスラエルを治めることを断った直後
ギデオンは自分のところに戦利品を集め
金や飾り布を使ってエポデ(祭司の服)を作り
自分の町オフラに置きます
するとイスラエル人はそのエポデを拝むようになりました

それはちょうど
イスラエル人がエジプトを出てカナンの地を目指す途中
金の子牛をつくって拝んだ事と似ています
どんな大きな困難も神の助けによって乗り越えてきた彼らですが
イスラエルはいつも同じ過ちを繰り返すのです

ギデオンがこのエポデを作ったことは
「ギデオンとその一族にとって罠(わな)となった」(27節)
と記されているとおり、ギデオンの死後
彼の70人の子どもたちに起こる事件につながっていくのでした

ミディアン人との戦いの勝利の後
イスラエルは平穏で
ギデオンは40年間を士師として生きました
しかし彼が死ぬと
イスラエルはまたバアルの神に従うようになり
これまであらゆる敵から救い出して下さった神を忘れてしまいます
彼らはイスラエルのために尽くしたギデオン(別名エルバアル)
についてもないがしろにし
彼の一族に誠意を示すこともしませんでした

「あなたの神、主があなたに渡される諸国の民をことごとく滅ぼし
彼らに憐れみをかけてはならない
彼らの神に仕えてはならない
それはあなたを捕える罠となる」
(申命記7章16節)

「主の目にかなう正しいことを行いなさい
そうすればあなたは幸いを得
主があなたの先祖に誓われた良い土地に入って
それを取り、主が約束されたとおり
あなたの前から敵をことごとく追い払うことができる」
(申命記6章18-19節)


「主の目にかなう正しいこと」とは
神の言葉に従うことですが
人はしばしば神を忘れ偶像に頼ろうとするのです
偶像とは
わたしたちの心の中にある「思い」も含まれ
自分の面子にこだわる名誉欲も
お金にこだわる拝金主義も
みな神に嫌われるものです
そういう「思い」をことごとく滅ぼしていかなければ
それがわたしたちの人生にとって「罠(わな)」となっていくでしょう

現実に多くの葛藤が人生にはあって
この一年も
わたしたちはその「思い」と常に戦ってきました
何が正しくて、何を選択して行けばいいのか
それは神を第一に考えていく時に自ずと見えてきます
しかし
自分が第一になり、傲慢になっていくと
目先の欲に惑わされ、損得勘定で動き、無駄な争いをして
平安のない日々を送るようになるでしょう

神を第一に考えていくとは
常に神を慕い、神から与えられた使命を果たし
神に栄光を帰して、感謝していくこと
そうすれば必ず良い道が示されていくと
『年頭のみことば』によっても教えられました
あれから一年が過ぎようとしている今
自分の役割や使命を改めて考え
人生の様々な戦いに勝利を与えてくださった神への感謝と共に
新しい年への備えとしたいと思います



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