今週のみことば


3月11日


「女は言った『昔から”アベルでたずねよ”と言えば、事は片づいたのです
わたしはイスラエルの中で平和を望む忠実な者の一人です
あなたはイスラエルの母なる町を滅ぼそうとしておられます
何故、あなたは主の嗣業をのみ尽くそうとなさるのですか』
ヨアブは答えた『決してそのようなことはない
のみ尽したり、滅ぼしたりすることなど考えてもいない
そうではない、エフライム山地の出身で、名をビクリの子シェバという者が
ダビデ王に向かって手を上げたのだ
その男一人渡してくれれば、この町から引きあげよう』
女はヨアブに言った『その男の首を城壁の上からあなたのもとへ投げ落とします』」
(サムエル記下20章19-21節)


前頁の<ダビデとヨアブの関係>を見ると分かるように
ヨアブは勇敢で、戦いにおいて多くの手柄を上げた人でした
そのためダビデは彼を重要なポジションに用いるのですが
ヨアブは性格が過激で
ダビデが戦いの平和的な解決を望んでいる時にも
その命令を無視して相手を殺しています
そんなヨアブのことをダビデは用いる一方で
『わたしの手に余る(手におえない)』とも表現し
アブサロムが殺された後には彼を将軍から降格しました
ところがヨアブは自分に代わって将軍になった従弟のアマサを殺し
それを知っていながらダビデはまた彼を将軍にするのです
ダビデの身内でもあり、戦いにおいては頼りになる存在のヨアブですから
ダビデもなかなか彼を切る事が出来なかったのかもしれません
しかし
ヨアブの行動は神に喜ばれるものではありませんでした
彼には平和的に解決するための知恵がなく
その知恵を神に求めることもせず
ただ自分の考えや感情に従って相手を殺し
最終的には自分も殺されてしまいます

さて、シェバが逃げ込んだ町アベルには「賢い女」がいました
そこへヨアブがやってきて、城壁を崩そうとしているところを
この女の知恵によってとどめられるわけです
彼は決して町を滅ぼそうとしているのではないと言っていますが
実際には城壁を崩そうとしていたのですから
そのままだと、町は破壊され、多くの人の命が失われたでしょう
しかし、ここで女からの知恵のある言葉が
ヨアブを冷静にさせました
そして、この賢い女は
「知恵を用いてすべての民のもとに行き、ビクリの子シェバの首を切り落とさせ
ヨアブに向けてそれを投げ落とした」とあるように
この女の知恵が町全体を救ったのです

ヨアブは有能で強く、指導力もある人でしたが
自分の欲や感情を抑えることができない人でした
人は一時的に自分の願いがかなえば喜ぶものです
しかし、その行動が神にある者としてどうなのか
人に復讐するという事が神にとってどうなのか・・・と
そのように考えることはできなかったようです
そのため彼は
最後に自分がやってきたことの報いとして
ダビデの遺言でソロモンに殺されるのでした

また
ダビデを呪いイスラエル人を先導して殺されたシェバは
サウルの出たベニヤミン族出身でしたから
元々ダビデのことを快く思っていなかったのでしょう
だから何かあれば敵対してやろうとし、反乱をおこし
そういう心のうちの不満が自分の死につながっています

では
わたしたちは自分の心を乱していくものを
どうやって取り除いて行くのでしょう?
面白くない感情や、絶望的な思いからどう立ち直っていけばいいのでしょう?
答えは一つ
そこには「神の知恵」が必要です
神を頼りに生きて行く信仰は
人を悪の道に行かせることがなく
物事を解決するための知恵が与えられるからです

人の心は時に黒く、時に白く、しばしばグレーになるため
わたしたちは自分の思いに常にほんろうされています
そして、それが人の間の争いを生み
その争いはくり返される
自分が正しいと主張し、用いられるためには
相手を滅ぼすことしか考えない
そのような愚かな行動に走りがちであることが
この一連の出来事を通して教えられます

「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい
そんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない」
(マタイによる福音書12章25節)


ヤコブ(=イスラエル)から出たイスラエル12部族が
自分の部族の面子のために争いをくりかえしていたのを
最終的にまとめたのは、神の知恵を頼りにするダビデです
彼には誠実な心があり、それによって人々から信頼されました

今も昔も政治の世界はドロドロしており
わたしたちの日常にも、もめ事は絶えません
これが人間社会の現実ですが
そんな中に生きるわたしたちは
お互いが誠実に歩むことを心がけ
どんな問題が起きても神の知恵を求めて
神に喜ばれる道を進んでいきましょう



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