今週のみことば
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6月24日
「ギレアドの住民である
ティシュベ人エリヤはアハブに言った
『わたしの仕えているイスラエルの神
主は生きておられる
わたしが告げるまで、数年の間
露も降りず、雨も降らないであろう』
主の言葉がエリヤに臨んだ
『ここを去り、東に向かい
ヨルダンの東にある
ケリトの川のほとりに身を隠せ
その川の水を飲むがよい
わたしは烏(からす)に命じて
そこであなたを養わせる』」
(列王記上17章1-4節)
前回の11章から飛んで
今日は17章のみことばです
ここでは初めて
預言者エリヤが登場するのですが
彼は当時
イスラエル王国(北朝)を統治するアハブ王に対し
王が偶像崇拝をやめないので
これから数年間
雨が降らなくなるぞと預言します
アハブ王がいつ頃の王さまであるかは
別ページの
「イスラエル王国(南朝・北朝)の王と預言者」を
参考にしてください
上記ページの表には
分裂後のイスラエル王国の
王の名と預言者の名を記していますが
この王たちの中で
神に従った人には☆印をつけています
それを見ると分かるように
ユダ王国(南朝)において
神に従った王は半分もいません
一方、イスラエル王国(北朝)においては
神に従う王は一人もいないのです
これが当時のイスラエルの信仰の実態でした
なお、今回は
「イスラエル12部族について」のページも
更新していますので
適宜参考にしてください
さて、アハブの前で預言したエリヤは
当然命をねらわれることになります
そこで神はエリヤに
ヨルダン川の東にある
ケリト川に隠れるよう命じます
彼は神の言葉に従い
ケリト川に留まりました
するとカラスが
朝に晩にパンと肉を運んで来て
エリヤを養ったのでした
その後
雨が降らず川が涸(か)れてくると
神はエリヤに
シドンのサレプタに行くよう命じます
そこでは
『わたしは一人のやもめに命じて
そこであなたを養わせる』
と言われたとおり
一人のやもめに出会いますが
彼女は貧しくて
一握りの粉とわずかな油しか持っていません
しかし、そんな彼女にエリヤは
自分のために
パンを作って持ってくるよう命じました
「なぜならイスラエルの神、主はこう言われる
主が地の面に雨を降らせる日まで
つぼの粉は尽きることなく
瓶の油はなくならない」(14節)
結局このやもめは
エリヤの言葉に従うのですが
神の言葉のとおり
その後、彼女の粉は尽きず
油もなくなりませんでした
こうして彼女もエリヤも彼女の家族も
ききんの中でも
食べ物に事欠かなかったのです
しかし
ある日、彼女の息子が病気で死んでしまい
ショックを受けた彼女は
エリヤを責めました
『神の人よ、あなたはわたしに
どんなかかわりがあるのでしょうか
あなたはわたしに罪を思い起こさせ
息子を死なせるために来られたのですか』
(18節)
そこでエリヤはこの子を母親から受け取り
神に祈りました
『主よ、わが神よ
この子の命を元に返してください』(21節)
すると、その子は生き返ったので
母親はエリヤにこう告げたのでした
『今わたしはわかりました
あなたはまことに神の人です
あなたの口にある主の言葉は真実です』
(24節)
この17章には
人の思い(常識)をはるかに超えた
神の業が記されています
神の預言者を殺そうとしているアハブの前に
堂々と出ていくエリヤは
この後、神から養われていくわけですが
そこでは、最初は「カラス」
次は「貧しいやもめ」が用いられました
カラスを用いて食料を運ばせることも
貧しいやもめの粉と油を増やし続けることも
神でなくてはできないことです
こうして神は
人が到底信じられないような方法で人を養うこと
そして
神の助けはどういう方法で行われるのか
わたしたちには
全く思いもつかないのだということを
この奇跡は教えてくれるのです
また神の業はそこで留まらず
「やもめの子どもが生き返る奇跡」
まで起こります
このように
食べ物や病気について
深刻な状況になるような
「死に値する問題」が起きても
神にあれば
それらが「生きる方に変えられていく」ところに
神を信頼する重要なポイントがある
ですから
人生が上手くいかない時も
神の業の表れがいつもあるので
どんな時も希望を持っていけたら幸いです
やもめは
パンを焼くための薪(たきぎ)を
拾うために町に出ていて
そこでエリヤに出会いました
最初はとんでもないことを言われ
戸惑いもしましたが
彼女は「燃える材料」を探していて
神の人に会い、神の助けを体験します
わたしたちの日々の歩みの中にも
神に対して
心が燃える材料を探してみましょう
今まで
どんな神の働きを体験してきたのか思い出し
今も日々を
神の助けのうちに生かされていることを
見いだす努力をするのが信仰です
信じない人には
「ばかみたい」と思えるような話が
聖書にはたくさん出てきますが
それをわたしたちは受け入れる者でありたい
そして
真の神に出会い
その神に似る者として
自分が変わっていくことができますように
神を信頼して進んでいきましょう
<目次