ふたりの自分 1
息子が高校に入学した時
担任の先生の意向で統計学による性格診断が実施されたのだが
その時の結果があまりに当たっているのが面白くて
今もその資料は保存している
以下は息子未承諾のうちに転載。。
●外面的性格(30%)・・・・・敏感型 自由奔放を望みながらも 安心したい気持ちも強い感覚的よっかかりに その本質が隠されている 型にはめられた窮屈な生活を嫌い 変化と気楽さを楽しみたい精神性を持つ 鋭い直観とヒラメキを武器に 思い立ったが吉日で鉄砲玉的足取りの軽さがある とっさの状況判断に優れ、臨機応変の対応も的確 意外と寂しがり屋 ●内面的性格(70%)・・・・・挑戦型 活発だが、どことなく影のある気位の高そうな人物である とりつくしまのないような気の短さと 高圧的な雰囲気をもっている じっとしているのが苦手なように いつも元気に行動している ツーといえばカーというくらい反応が速く 思ったことは即実行に移すタイプ 負けず嫌いで 正義感をもって露骨な批判をすることもあるけれど 意外と保守的で上下の秩序を重んじる古風な義理人情肌 こうと決めたら体当たりしていくのだが 時にはせっかちな無鉄砲さととられることもあり 損をすることも少なくない 自分を抑えてまで周囲と協調することは不得手であるが さっぱりとした歯切れのよい人柄が人気 意外と理屈っぽく重箱の隅をつつくような几帳面さがあり ゆとりに欠ける点は否定できない しかし、ただやみくもに突っ走るタイプではなく 理知的な面もそなえた人物である |
ここにある「外面的性格」と「内面的性格」は
多くの人は異なっているものらしいのだが
息子の場合はどちらも同じ傾向にあり
要するに、外側も内側も変わらない単純型の人物らしい
これを読んだ時
わたしよりも更にウケたのは夫だった
なぜなら
この内容はまさに夫の性格そのままだから(笑
このサイトを始めた2002年11月には
管理人のひとりごとで『息子のこと』を書いたが
今、改めて読み返してみると
息子の生まれ持った性格がはっきりとわかる
赤ちゃんの頃から
段差のあるところでは手で高さを測っていた彼は
今でも高いところは苦手で
あぶないところには近寄らないに限ると思っている
だから極力ロープウエイやリフトには乗らないし
観覧車などはもってのほかだ
苦手なものは克服するのではなく
いかに逃げるかを先に考えたのがマラソン大会からの逃避
それと同様に
中学時代は泳げないことを如何にごまかすかが課題で
水泳の授業中、先生の見ていない時には歩き
見つかって「歩くなーっ!」と怒られた時だけ
泳ぐまねをしてすごした
だから今でも息子は全くといっていいほど泳げない
でも
息子は自分の欠点を隠そうともしないので
そのあっけらかんとした性格がうけて
欠点がいじめの対象になるようなことはなかった
白熱したビートバンレースの時も
息子にバトンタッチされたとたんパチャパチャと泳ぐものだから
見る見るうちに最下位に、、、
思わずコケるクラスメイト達
それでも本人はケロっとしていたらしい
一方
小さい時から音楽が大好きで
今もピアノを結構上手く弾くし
一時期は本人の強い希望でバイオリンを習ったこともあった
多分生まれもった音感があるのだろう
楽器は何でもそこそこにこなす器用人間でもある
そんな彼が
中学校の部活で吹奏楽部に入った時
夏のコンクールまでは一年生はまだ自分の担当楽器を持たず
シンバルやトライアングルなどの打楽器で参加するのが常だったが
息子の場合はその時すでに
(あれはなんという名前の楽器か知らないが)
木琴や鉄琴のような楽器3台を一人で任されていた
3台の間を忙しく動きながら的確にこなすバチさばきは
親のひいき目を除いてもなかなかのものだったと思う
その年のコンクールは久々に金賞を受賞した
次に息子が選んだ自分の楽器はクラリネットで
これもすぐに上達し
たちまち上級生の担当すべくパートに抜擢される
翌年のコンクールも再び金賞になったが
それ以降、息子は部活に行かなくなり
その後、”人間関係”を理由に部活をやめた
先日
部活をやめた本当の理由を
3年経った今ごろになって息子が急に話しはじめた
確かにあの頃
人間関係の問題もあるにはあったけれど
実は、一番大きな問題点は
どんなに楽器はできても”楽譜が読めない”ことにあったのだという
やがて3年生が引退すれば自分が後輩に教える立場になる
その時、楽譜が読めなければ教えることもできない
だからといって
楽典の勉強は面倒で興味もない
それならさっさとおさらばしようか・・・という
実に息子らしい逃避劇だったわけだ
では今まで息子はどうやってピアノを弾いてきたのだろう
かなり難しい曲も弾いているし
目の前には確か楽譜も広がっている
なのに楽譜が読めないってどういうこと?
もちろん息子も音符がどの音を指しているか位はわかるようだ
だが、リズムは読み取れないし符号の意味も知らない
だから、知っている曲なら
音符を見ながら自分の耳を頼りに弾く事はできても
聞いたことがない曲は音符だけでは弾けないのだ
そんな息子でも
興味のある物事に対する探究心は人一倍強く
負けず嫌いの性格もあって
ここという時の頑張りには目を見張るものもある
こうして自分の興味の向くまま
だんだん得意分野も発掘していき
それを武器に今まで何とかやってきた
息子の場合
全然できないことがあっても
他の部分でカバーするのが常で
弱点の克服よりも
持ち味を生かすやり方で
ここまでバランスをとってきたといえるだろう
上記の性格判断をよく読んでみると
”意外と”という言葉が何度か出てくるように
この性格は
言ってみれば全く正反対の性格が同居しているような感じで
両者のバランスが取れていることが
生きていくための絶対の条件なのだ
正義感が過ぎれば自分が疲れ
自由奔放を出しすぎると誤解も受ける
正反対の性格は常にお互いけん制しあい
どちらかが突出することのないようコントロールされているようだ
自分のできることは協力を惜しまないが
これは自分の許容範囲を越えていると判断すれば
かっこ悪くても潔く退散する
ちょっと無理をすれば更に評価される可能性はあっても
いとも簡単に欲を捨ててしまう面もあるのだ
恥ずかしながら
息子は中学校までは宿題や提出物をほとんど出したことがなく
特に小学校の頃はひたすら楽しく遊んで過ごしたので
一部の先生を除いて、だいたい先生ウケはよくなかった
ところが
高校に入ってからは先生の評価がまるで変わり
なぜか「良い子」とも言われるようになったことは
本人にとってはあまり嬉しいことではないらしい
「良い子でもないのにそんな風に言われても困る・・」と、、、
「良い子」と呼ばれることは
何か制限がつけられたようで窮屈なものだ
特に息子のようなタイプにはそういう立場は居心地が悪い
それでも
これまで様々な失敗を通して自分を知り
そのうち
自分の中の意外と勤勉な部分が見えてきて
知識を増やし
技術を磨き
丁寧な仕事をなすことで
信頼を得て来たこともあるだろう
また
”意外と保守的で上下の秩序を重んじる古風な義理人情肌”
とのデータが示すように
自由人でありながら武士道を重んじる気質であること
表舞台で派手に活躍する役者よりも
むしろ裏方で取り仕切るプロデューサー的役割を好むことも
コイツにやらせておけば何とかするだろう
との安心感を周りに抱かせるのかもしれない
だが
プライドが高いくせに、ちやほやされるのは嫌いで
寂しがり屋なのに、一人を楽しみ
ある時は高圧的なオーラを放ち
ある時はあまりにも明け透けで
わざとちゃらんぽらんな面を見せる息子、、
たぶん親でなければ
この子の本性は誰も知らないだろう
良い子なんて言われたら
じゃあ悪い子もやってみようかなんて
そんなへそ曲がりの面も持ち
かといって
度を過ぎたことはできない小心者であることも事実
こうして
いつも息子の中にはふたりの自分がいて
それはどちらも息子そのもので
片方が突出すればとんでもないことになるところを
両者が互いにコントロールしているわけだ
中学時代
宿題も提出物も出さない息子を
わたしは一時期ひどく叱ってみたことがある
息子は理屈屋だ
それに対抗する理屈を考えて
わたしが思いつくまま言ったセリフがコレ
『宿題や提出物を出さないのは義務を怠っているのだから
大人が税金を払わないのと同じで許されないことだ』
だが
我ながらこの言い分はちょっとおかしい
納税の義務を放棄すれば迷惑は他人に及ぶが
宿題の義務を放棄したツケは
息子本人に回ってくるものだ
それによって恥をかくのは息子と親くらいで
よその子どもが勉強をしようがすまいが
他人には全く関係のないこと
わたしは多分
本質的には人一倍心配性なので
この息子の大胆さには呆れるばかりか
この子は一体この先どうするつもりなんでしょう?!と
ただただ不安だったのだろう
その不安から出てきた奇妙な理屈に
自分自身が可笑しくなって
その後はもう
こういうタイプは放っておくに限る・・・と
悟らざるを得なかった
それからの息子は
更にのびのびとして過ごしてきたが
繁華街の人ごみが嫌いなため
高校生になってもいつも学校と家を往復するのみで
休日もたまに遊びに行くといえば
幼なじみの友人と公園でサッカーをしたり
まるで小さな子どものような遊びに興じるとか
自転車で山に行くとか
屋根に寝転んで風情を楽しむとか
ピアノを弾くとか
プラモデルを造るとか
(以下あまりにもやることが多いので省略)
わたしが高校生だった頃よりも
ずっと古風な日常を送っている
夜更かしが苦手で朝に強く
毎日同じ時間に起きて
同じ時間に風呂に行き
同じ時間に食事をして
同じ時間に家を出る
この規則正しい生活リズムが
息子にとっては一番心地良いらしい
こうしたことから
息子はうちでは「おじいさん」とも呼ばれている
というのも
義父がこういうタイプの人だったから
どんどん息子の本質が顕著にあらわれてくるにつれて
この子はわたしが思っていたようなタイプではないと実感すると
不安症でありながら
一方では大変「ものぐさ」なわたしは
息子のことをかまうのが面倒になった
小さい時に家庭内で様々な秩序を学び
人としてやってはいけないこと迷惑なことは何かを教えられたら
後は自分で失敗しながら学んでいく
結局はこれが基本なのだろう
そう自分に言い聞かせると
さっさと退散を決意することにしたのだった
もし、わたしがもっと勤勉な性格だったら
自分の不安を抑えるために
もっとあれこれ息子のために尽力(?)したのかもしれない
ところが
わたしは元々子育てが苦手だ
もちろん子どもは可愛いけれど
子育てにどうしても熱心になれない冷たさがあり
早く子どもが自立しないかと
いつも心待ちにしてきたものだ
このどうしようもない「ものぐさ」な性格は
不安を上回るほどのかなりのものらしい
わたしの中にも常にふたりの違う自分がいて
片方の自分は一生懸命心配しているけれど
もう片方の自分がそのうち面倒になって
もういいよ〜、と抑えにかかる
息子にも小心者の面があり
当然少なからぬ不安もあるわけだが
息子の場合はわたしとは違った強烈な個性で
「もういい!」とさっぱり不安を押し込めてしまっているのだと思う
なにしろ
過ぎ去った過去を振り返る行為そのものが
息子にとっては許しがたいことであり
先のことを心配する”とり越し苦労”は大嫌いな性格だから
だが
そうやって心の中でバランスをとっている時に
わたしが自分の不安をそのまま息子にぶつけ続けたら
きっと息子の中のバランスにも影響を及ぼすだろう
そういう意味で
わたしは「ものぐさ」な自分でよかったと思う
誰の中にも
その人の個性を活かすそれぞれの要素があって
一方で誰もが持つ「不安」は
ある時は人をまともな方向へと制御することもあれば
ある時は惑わすこともある
なくてはならない不安と
あってはならない不安
後者はしばしば過剰になり、病的ともなって
やがて人の心をどこまでも不安に陥れていく
どうしようもない不安に駆られる時
人はそれから逃れようとして
他の人を巻き込んでいく場合がある
一人の不安は一人の中でおさまらない
とにかく自分の気がすむまで
周りの人に不安な気持ちを訴え続ける
そうなると、今度は周りが少なからぬ影響を受け
今まで気にしなかったことまでが不安に思えてくるものだ
被害妄想に陥った人の話を聞くのは
聞く側に大変なストレスを与える
これは
自らがその苦しみから逃れるために
人も同じ道に引きずり込もうとする力が無意識のうちに働くかのようだ
不安のあまり
現実にはありもしない妄想が常に頭の中を支配している時には
どんな人もその人本来の良さを失っている
これが日常化すれば
もはや共に暮らすことは困難となるだろう
わたしは
自分の中にこの素質が十分あることを知っている
子どもの頃にはいつも
『明るく、積極的で、責任感のあるリーダー的存在』
と記されてきた対外的評価とは別に
明らかに違うもうひとりの弱い自分がいて
実はその弱い自分でいた方がずっと気楽なのに
自分自身がそれを許してこなかったところもある
自分の面子を守ろうと思えば思うほど
わたしはいつも疲れていた
そんなわたしにとって
息子は非常にいい学習材料だといえる
息子の言動は幼い時からわたしの常識の範囲を超えていて
驚くことや戸惑うことも多かったが
それ以上に面白すぎることがたくさんあった
わたしはずっと
自分の中の自分はひとりでなくてはならないと思っていて
ふたりの自分の中を行き来するのは
自分が安定していないからだと考えていたのだが
実際には
ふたりの自分をどちらも本物として許すことが必要なのだと
そして
ふたりが居ることで自分が保たれているのだということ
更には
人を見るときには
いつもその人の良い方の人を見ていればいいのだということを
息子を通して教えられたのだった
今しみじみと思い出すのは
この上ないほど大らかな気質だった義母のこと
料理の味が薄ければ「甘くていいねえ」と言い
濃ければ「からいのもいいねえ」と
いつでもなんでも「いいねえ」と許すあの心の広さは
子どもの頃
自分の目が段々見えなくなっていくことを潔く受け入れてきたように
(理不尽なことも含めて)すべてのことを許すことで
養われてきたのではないかと思われる
夫によれば
とても優しかった義母も
しつけという面ではかなり厳しかったらしい
何しろ夫は息子のあの性格の元祖だから
当然色々あっただろう
自分が如何にいたずらっ子だったかは
夫自身も公言してはばからないが
障害者の子として
教会の長男として
様々な理不尽な環境におかれても
決して人間的に曲がることがなかったのは
義母の大らかな許す心にも大きな要因があったのではと
わたしは想像している
もし義母が
自分の目が見えないことを許さず
戦後の混乱期の中で
福祉も行き届かない社会を恨んで生きていたら
状況はもっと違っていただろう
ましてや
自分の許せない心を満足させるために
何がしか世間を見返すことに躍起になっていたら
一体どうなっただろう
義母の実家は
昔、義母がまだ子どもの頃には
その門に駐在さんが立って番をしているほどの
町で指折りの資産家だったと聞いている
それが
父親の会社が倒産することで生活は一転
義母自身も視力を失い
更には同じく目の見えない義父との結婚へと
運命は次々思わぬ方向へと移り変わっていった
そんな中に置かれた場合
人の心には
敗者復活を望む思いが起こってくることも
多いのではないだろうか
このままで終りたくない
自分の人生これでは許せないと
義母は思わなかったのだろうか・・
残念ながら
義母から直接そんな話を聞く機会はなかったけれど
あのあっけらかんとした大らかさの中には
さまざまな思いを超越したものがあったことは確かだ
目が見えない上に脳梗塞で手足も不自由になった時
その状態を情けなく思うだろうと問う人があったが
義母は平然として
「わたしはこれでいい」と答えていた
その時の様子は決して強がりではなく
義母の本心だったと思う
それぞれ立場や事情は違っても
心が安定しない人の多くは
何らかの焦りを抱えている
その焦りがまた更なる不安を呼ぶわけだが
義母はいつも何も焦っていなかった
辛い経験が後の幸せにつながっているケースは多々あるが
恨みを引きずる人生の復讐劇には
本当に平安な結末はやってこない
なぜなら
人の欲は限りがなく
自分の人生これで良しと許さない限り
いつまでもハッピーエンドにはならないのだから
たとえそれが十分幸せであっても
自分では幸せと感じられないことの不幸せ
そのために捨てる膨大な時間と
周りに及ぼす影響の大きさのいかばかりかを思う時
許すことの大切さを考えずにはいられない
誰の中にも
優れた自分と劣った自分がいる
誰でも優れた自分にだけ目を向けたいと思うが
(しばしばそのようにしてしまいがちだが)
劣った自分も共存していることを
決して忘れてはならないのだ
(2006年4月11日記)
<戻る