いいかげんな話



<愛の話 2〜自分の思い>

今年最強の台風19号が近づいている
ここ広島は今のところ暴風圏には入らないとの予報だが
わたし自身は、前回の18号の時には 「平成16年台風18号」
そして今回は「平成3年台風19号」を思い出し、警戒感を強めている

この2つの台風の広島での最大瞬間風速は
前者が60.2m/s、後者が58.9m/sと凄まじいものだった
教会の被害は、H3年の時には屋根の上を止めている部品が一部落ち
鉄板でできた看板が折れ曲がった程度で済んだが
(H16年の時にはサルスベリの木が倒れた→当時の記事はこちら
多くの家の屋根瓦が飛び、窓ガラスは割れ、電柱も倒れ
大変な被害がもたらされたことを今も鮮明に覚えている

特に、娘が生れた年に来た台風19号は
わたしの台風への感覚を全く変えるほど恐ろしく
この恐怖を体験したおかげで
わたしは自分という人間を見つめ直すことになったのだった

この台風が来た日、夫は教会行事のために福岡に出かけて留守だった
家には目の見えない義両親と3歳に満たない息子と生後4カ月の娘がいて
風が強くなってきたねといいながら早めに夕食を終え
子どもたちをお風呂に入れている時に突然停電
初めての停電にびっくりして泣きだした息子は
いつもなかなか寝ないのに、さっさと布団に行って寝てしまった
風の音はどんどん激しくなり、窓ガラスが割れそうなほどガタガタ言っている
窓ガラスが割れたら屋根が飛ぶという話を聞いていたので
この時は本当にそんなこともあるのかもしれないと初めて感じながら
とりあえず台所の片づけをしていると玄関のピンポンが鳴った
え?こんな嵐の中で誰?!!

開けてみると、そこには当時いつも教会へ来ていた若い女性が立っていた
仕事帰りでちょうど駅に降り立ったらこの嵐でとても家に帰れないため
駅から歩いて1分ほどのうちにたちまち避難してきたわけだ
(当時はあれほどの暴風の中でもJRが動いていたようだ@@)
彼女は同じ町内に住んでいて
わたしはよく考えもせず、すぐに彼女を車で家に送って行くことにした
そう、この嵐の中を!!

当時29歳とまだ若かったわたしは
その時がぜん燃えていた
わたしは困難を前にすると燃える気質があるらしく
それが正常に発揮されれば実に良いのだが
この時は何か自分に活躍のチャンスが来たような変な高揚感があって
英雄気取りで、彼女を危険に巻き込むとの考えもなく出て行くのだった

結果としては、彼女は無事に家に帰れた
だが、そこに至るまでの道のりは文字通り険しく
車のライト以外全く光のない中で
目の前を大きなスレート板が飛んで行き
行く手を倒木に阻まれ
その木をどけるために車から降りるとドアも閉まらないほどの風に呆然とし
必死で木を道路わきへと運びながら
”わたしは何をやっているんだろう?!”と情けなくなってくる、、
それでも彼女の家までたどり着いたので安心したのもつかの間
今度は帰り道がわからない・・・
というのも、同じ町内とはいえ行ったことがない場所だったので
彼女から国道に出る道を教えてもらったのだが
海岸沿いを走っている国道は潅水して通行止めになっていたのだ

そこでわたしは出てきたことを本当に悔やんだ
そして、家に残してきた幼い子どもと義両親の事が気になった
この間にもし窓ガラスが割れていたらどうなるだろう?
どうしてわたしは出てきたんだろう、、、
冷静に考えれば、彼女も教会でしばらく待っていればよかったものを
わたしがわざわざ危険な中へ連れ出したようなものだ
わたしはその時はじめて、自分の中の正しさの判断や正義感に疑問を持った

人を助けるのはいいことだが
良い事ならなんでもやっていいわけじゃない
でも良いことだからと思うと自分が止められなかった
なぜ自制心が働かなかったのか
それは、そこにわたしの「思い」があったからだ
この「思い」は「愛」ではない
もしそれが「愛」からきているなら
はじめからみんなのことを冷静に考えたはずだが
わたしは自分が英雄になったような高揚感で舞い上がっていたのだ

帰りの道が分からず呆然としつつも
とりあえず来た道を戻って行くと、遠くに光が見えた
車のライトが流れていく
あそこに道があるらしい!
そこからはひたすら光の方へと車を走らせると
やがて大きな道にたどりつく
そして、走って行く車に合流してしばらく行くと
見なれた場所に出た

家を出てから帰るまでの時間は30分程度だったと思うが
帰った頃には風はだいぶ弱くなっていた
どうやらわたしは一番悪い時に出て行ったらしい
少し様子を見ていれば良かったものを・・・と
子どもたちが寝入っているのを確認しながらため息をつく、、、

当時のわたしは
気むずかしい義父と、2度目の脳梗塞でいっそう不自由になった義母の介護と
幼い子どもたちの育児に疲れていた
何か活躍するチャンスも、誉められるようなこともなく
若さにあふれる時代が淡々と過ぎていくのは空しかった
そんな時に、わたしを頼りにしてくれる人が居ることは
それ自体がとても嬉しかったのだろう
だから目先のことに夢中になり、遠くを見通すことはできなかった
ただ、そんな愚かなわたしでも
自分の間違いに気づいたら、反省して方向転換することだけは早く
当時のことは重要な教訓として今も心に留めている
それがなければ
人から認められたいという「思い」にかられた時代の自分に戻ってしまうかもしれない

だが、今まで色んな人と接してきて思うことは
自分が間違った時、それを間違いだと認めることがとても難しい人は結構多い
他人のせいにすれば自分は傷つかないしプライドは保てるが
再び同じ間違いをする可能性が高く
実際にそういう人は何度も同じ問題に遭遇する
”自分はいつも必ず正しい”
そういう「思い」に捕らわれて行動することで
周りの人々がどんな影響(迷惑)を受けていくのだろうか
そこを想像する心がないとすれば、そこには「愛」が欠けている

人が良かれと思ってすることの結果は
実際に進んでみないと分からない
ただ、わかっているのは
それが「愛」から出たものならば、事は好転し
もし人の「思い(欲望)」から出たものなら行き詰るということ
とりあえず、わたし自身は53歳を迎える今
やっとこれを確信する所までたどりついた


(2014.10.10)



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