いいかげんな話



<愛の話 4〜住み分け理論>

昨夜、息子がわたしの部屋にやってきて
いきなり『進化論』の話を始めた

生物で習う『ダーウィンの進化論』とは
  「生物が環境に適用するように競争が生じることで淘汰(選択)が起こり
   適者が生存することで進化が起きるとした説」
これを昔は
強いものだけが生き残る「弱肉強食」の世界として教わったが
現在はその解釈が変わってきているのだという

上記の”適者が生存する”の”適者”とは
他を滅ぼして生き残るにふさわしい”強者”ではなく
個体それぞれに”生まれつき定められている適応力”を生かしている者であるということ
つまり、生物界には強い者と弱い者が
それぞれの個性を発揮しながら「共存共栄」している・・・というような考え方らしい

そして、この「共存共栄」という考え方が
経済界でも注目されてきているというのが興味深い
実際に、昔は一人勝ちであった大企業が
生き残りをかけて統合する動きも当たり前のことになった
単にライバルを蹴落とすよりも
お互いが特性を出しあい協力して企業を成長させる方向で考えた方が
平和的かつ合理的、そして何より聖書的な感覚なので
息子にとって非常に面白いと思ったようだ

息子自身は就職して2年目で
すでに自動車教習所指導員としての資格を
3つ(「普通自動車」「自動二輪」「大型二輪」)取得するという
異例のスピード合格によって高い評価を得ており
業務の合間には、得意とするPC作業の仕事もこなし
持ち味を発揮する場をたくさんもらいながら忙しく過ごしている
そんな息子に、上司からは「もっと上を目指して」と期待を込めて激励されるが
本人には”上を目指す”という気持ちはあまりない
色んな事に挑戦するのは好きだけど
自分が人より目立ちたいわけじゃないのだ
会社には色んな人がいて
中には自分の持ち味を上手く出せていない人もあるだろう
一人の人がスーパーマンのようにあれもこれも頑張るより
みんながそれぞれ持っているものを出しあって隙間を埋めて行けば
誰もが生かされる職場になる
その方がきっと会社としても成長するだろうと息子は考えているらしい

昔から息子には、みんなが同じことをさせられる学校教育への不満があった
得意なものを伸ばせば自信につながるのに
不得意なものでいつもダメだしされるのではやる気もなくなる
これでどうやって個性を伸ばすのか?と、、、

今は毎朝、同期と二人で教習車を洗うのが日課で
それを見た上司からは「みんなでやればいいのに」と言われるが
こういう事は、やろうと思う者だけがやればいいんじゃないかと
自分もそうだし、各々に向いている事をそれぞれやればいいと思うのだ
みんなで同じことをして競い合う必要もないし
好きでやっている事には不満もない
それぞれの分野の「適者」が、場所を「すみわけて共存」する
この理論は実に理想的だ

そんな息子は、半年前、同期の女性が会社を辞めた時
彼女の心境を事前に推し量ることができなかったことを残念がっていた
この仕事は技術職だから、どうしても格差が出るのは仕方のないことだが
自分に自信のない彼女には、同じように自信のない教習生を理解する心があった
そういう彼女ならではの良さを生かす方法はなかったのだろうか?
息子の方は、彼女と反対に、自分に相応の自信を持っているので
卑屈になる人の気持ちを今一つ理解できないでいるという
周りから仕事ができると思われていても、こうして欠けたところはあるものだ
だからこそ欠けた所を補い合う人材の重要性を、彼は感じているのだろう

そもそも、息子はどうして自信を持っているのだろう?
母親としてずっと彼を観察してきて思うに
彼には生まれつき「やりたいことはやる」「やりたくないことはやらない」
という強さが備わっている
こういう子は、いわゆる「良い子タイプ」ではないので
中学生までは学校の先生との折り合いもあまりよくはなかったが
彼の個性を見抜いている塾の先生や、高校の先生からは高く評価されていた
その評価が、彼の出来る部分を後押ししたのは言うまでもない
「分かる人は分かってくれる」
その喜びが本物の自信につながって行く

また、過去にも記してきたように
様々な挫折や失敗が彼を謙遜な人間に成長させ
その陰には、親の、特に父親の重要な働きがあった
わたしは今でも7年前の息子の「下宿引っ越し騒動」を忘れない
大学入学と共に、自立を志して意気揚々と出かけた息子が
ゴキブリの襲撃により一週間で下宿を退散したこと
更には、それを夫が進んで手助けしたことは
後に「一週間で帰ることを許す親の決意がすごい」と
妙な賛辞を受けることにもなるのだった

詳しくは「怒涛の連続引っ越し劇」参照

子どもの弱さを受け止めず
「甘えている」「体裁が悪い」「引越しにかかる費用がもったいない」など
親の側に色んな「思い」が働けば
「せめて半年頑張れ」とか、はたまた「もう知らん!」と言って見放すこともあるだろう
でも、息子が口ばかりの甘えた人間ではないことは、それまでの行動で信用があった
そんな彼が、自分の目論見の甘さを知って、途方に暮れている
それを夫は文句の一つも言わず、速やかに迎えに行くのだった

こうして夫は、子どもたちが小さい時から
おもちゃを直したり、困ったことがあれば必ず助けてくれる存在だったが
彼らが大人になった今も、子を思う心は変わらない
決して甘いタイプの父親ではないけれど
いざという時は決して見放さず、失敗を悔いる者には寛容だ
それ以前に、夫自身が自分の欠点を常々公言しているのだから
子どもの方も、失敗を素直に認めることを恥と思っていない
親だからと格好をつけない、その損得勘定抜きの心は
確実に子どもたちの持ち味を伸ばす支えになってきた
だから彼らも、確信を持ってその心を継いでいく

↓久しぶりに2003年に書いた記事を読んでみた
「父から息子へ」参照

2002年にHP『ぶどうの樹』を開設してからちょうど12年がたち
当時まだ中学生だった息子は来月で26歳になる
ふと思うに、自分がどこの誰であるかをオープンにしたサイトで
子どもの成長をこれだけ長い間発信してきている例はかなり少ないのではないだろうか
その時その時の内容はみな真実で、もちろん今の姿を想像していたわけではない
先がどうなるのか全く分からないからこそ不安もあった日々を
節目節目で成長の手ごたえを感じながら書きとめ
ここまで来れたことは本当によかったと思う


(2014.10.20)



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