人生の分岐点



ここでは
2007年1月16日からブログ「ぶどう日記」に記した
『人生の分岐点シリーズ1〜9』をアップしました


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早いもので1月もすでに半ばとなり
今年も本格的な受験シーズンを迎える頃となった
受験はその人の人生にとってひとつの大切な節目であり
取得する資格などによっては人生を左右するものでもあるため
そこには限りない夢と希望がある一方で
新年早々世間を震撼とさせた『歯科医次男の妹殺害事件』や
半年前に起きた『奈良の医師宅放火殺人事件』に見られるように
受験への焦りや絶望感から
取り返しのつかない事態が生まれるケースもある

1980年に起った『予備校生金属バット殺人事件』はその手の事件の走りで
この時の犯人はわたしと同年代だった
エリートの家に生まれた子の悲劇・・・
すでに若者の無気力・無感動・無関心の三無主義が問題になっていた時代の背景には
勉強をして将来地位の高い職業につくのが人生の勝利者であるとの
今で言う勝ち組思想があった
勝利者になるためには小さい頃から勉強しなくてはならない
将来つこうとしている職業が自分に向いているかどうかなんてどうでもいい
競走馬のように目隠しされてひたすらゴールを目指す子どもには
周りをゆっくり見渡す心の余裕も、何かに感動する時間もなかったのだ

今から30年前にも
医者の子ども達は大きなプレッシャーに押しつぶされそうになりながら
受験戦争を必死で戦っていた
その様子を間近で見ながら育ったわたしは
将来医者とだけは絶対に結婚しないと心に決めたものだった
これはもう実際にそういう体験をしていない人にとっては理解しがたいことかもしれないが
失うものがあまりにも大きすぎるという実感は
今でも恐ろしいほどにわたしの心の中に残っている

今回の『歯科医次男の妹殺害事件』や
『奈良の医師宅放火殺人事件』の犯人の親はちょうどわたしと同年代
あの殺伐とした医学部受験をくぐり抜けてきた末に得たものがこの結末・・
それでも世間では医学部受験熱はまだまだ続く、、

当然のことながら
医者の子どもがみんな医者になる素養を持っているわけでもなく
学力を備えているわけでもない
そこには努力だけでは超えられないどうしようもない壁があるにもかかわらず
父親の職業がネックになって別の道を選択する心の余裕もないのが問題なのだ
幼いときから将来は医者と決めていると
その後の人生設計をそれ以外の職業に設定しなおすのはとても難しい
そのために遊ぶ時間を削って塾に行き、勉強に費やしてきた時間が多ければ多いほど
失った時を惜しむ気持ちから更にそれを取り返そうとする気持ちも強くなる
ここが医学部多浪(多年浪人)への落とし穴だ
もしこれが普通のサラリーマンの家庭だったら金銭的な問題から多浪生活にも限界がある
しかし、裕福な家はここでずるずると学費を出す
子どもも出してもらうことを当然と思う
こうして、もはや親はあきらめた頃になっても
本人はいつまでも受験にこだわり続ける
このどうしようもない泥沼から抜け出すことは、裕福であるほど難しい

わたしが中学2年の時
父は一度だけ「女医にならないか?」と持ちかけてきたことがある
すでに周りの医者の子ども達が医学部受験に四苦八苦していることを聞いている上に
自分の血でさえ見るのも恐ろしいわたしにとって
それはとんでもない話だった
「絶対になりたくない」
すぐさまこう言ったわたしに父は
「そうか」とひとこと言ったきり
もう二度と同じ話を持ち出すことはなかった

あの頃は医者の子どもであっても女医になる人はまだ少なかったが
今は成績の良い女の子達がこぞって医学部を目指している
大きなお世話かもしれないけれど
そういう子達に「それで本当にいいの?」とわたしは聞いてみたい
もしかするともっとむいている職業があるかもしれないのに
初めから医者しか考えていないのならそれは実にもったいないじゃないかと思うのだ

先日の事件で、殺害した妹から「夢がないね」と言われたあの次男は
本当に夢がなかったのだろうか
というか、夢を見る環境がなかったといえるかもしれないし
夢見る範囲が限られていたというのか・・
何にしても歯科医になるしか選択肢がなかったのは寂しいことだ
とにかくあの次男のような立場や心境にある人はまだまだいっぱいいて
考えたくはないけれど、同様の事件もこれからまだ起るだろう

医者のモラル低下が指摘される一方で
医者の子どもが凶悪事件を起こすたび
わたしには何の責任もないにも関わらず
こういう話を聞くたびに人一倍情けなくなるのは
多分今でも父親に誇りを持っているからなのだろうなと思う
いや、自分の父親が偉かったと言っているのではない
ちょうど医者という仕事が父にとって天職であったのだろうということ
仕事が好きで、趣味みたいなものだったから
自ずといつも使命に忠実で一生懸命だったということだ

特に人の命を預かる仕事には
本当にそれが好きな人についてもらいたい
今全国的に不足している産婦人科医や小児科医でも
本当にそれになりたい人がもっと医学部に入りやすければ問題は解決するのに・・と思うが
現実はそんなに単純ではないところが実に悩ましい・・

わたしにとって驚くべきことに
今でも医者の家庭は裕福でこの上なく幸せと信じている人が少なからずいる
医者に限らず
いわゆる社会的地位が高く収入の多い職業の人は幸せだと信じて疑わない人には
常にそういう職業の”メリットの部分”しか見えていない
それがデメリットと差し引きすれば仮にマイナスであったとしても
メリットしか見ない人には限りなくプラスなのだ
何が起ろうとも、どこまでもそう信じているのが恐ろしい

わたしは最近、こういうデメリットについて知らない人に対して
知っている人は声を大にして語る使命があるのではないかと考えるようになった
語っても無駄かもしれないけれど、教えられなければ知ることがない
知ればそのデメリットについて少しは考えることもできるだろう

どうすれば子ども達がその子らしく生きていくことができるのだろうか
人生が幸いに向くのかそうでないのか、その分岐点はどこにあるのだろう
この辺のことをもう少し続けて書いてみたい

(2007.1.16)


(2へ続く)



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