人生の分岐点
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子どもの頃
勉強につまづいたり、面倒になったりした時
とりあえずそこから逃げ出したくて
「なぜ勉強しなくてはならないのか」
といった疑問を持つことがわたしにもあった
やがて大人になり、もう机上の勉強から離れた頃
今度は自分の子ども達が勉強をするようになって同じ疑問を持った時
わたし自身の中ではそれが上手く言葉にできなくて
あやふやな言い回しでごまかしてしまったように記憶している
自分の中で抱いている漠然とした思いを文章にするのはかなり難しい
一年以上前から、息子は『メタリッククローバー』というサイトを訪問し
そこで得た面白い話をよくしてくれていたのだが
昨年の夏からはわたし自身も時々そこを訪れて楽しませてもらっている
一日のアクセス数が2000を越えるこの人気サイトの管理者は
コンピューター専門学校の講師で現在29歳
その軽快な語り口調と愉快な発想が楽しく、非常にセンスを感じると共に
若いながらも冷静に世の中を見つめて
ココと言うポイントをしっかりつかんで生きている人生観に共感を覚える
日記のプチメタには普段ゲーム関連の内容も多いため
ゲームには全く縁のないわたしには意味のわからない話もあるけれど
時々出てくる主に学生に向けたメッセージは
わたしが上手く表現できないでいる内容が実にわかりやすく書かれている
最近では1月12日のフリーターやニートの問題が興味深い
また
その文中にリンクされている8月15日の日記”学生事情の個人的見解”では
多くの子ども達が抱く「なぜ勉強しなくてはならないのか」との疑問の答えが記されていて
これを読んだ息子は感動してわたしに伝えに来たのだった
続く8月31日の日記には
15日の日記を読んだ人からの反響と、作者の見解が載っており
そこで最終的に勉強の目的について
”勉強する目的は、勉強する方法を身につけ、得意分野を発掘することだと思う”
と記されている
いや、これだけ抜き出したのでは特に「ふーん」といった感じなので
興味のある方はぜひ上記リンク先(下線の引いてある所)を読んでいただきたい
小学校ではまず国語・社会・理科・算数・体育・図工・音楽を習いはじめ
高学年からは家庭科が加わり
中学高校では英語が増えたり、内容が高度になっていったりするのだが
とりあえず小学校低学年の頃のわたしは図工が大好きだった
その時点でわたしは図工という得意分野を発掘していたわけだ
その後、理科や音楽が好きになる一方で
国語や社会は全く興味なし(これは後も変らず・・)
算数や体育は内容によって一部楽しかった記憶がある
今のように幼稚園から勉強をはじめる時代ではなかったから
勉強というものは何もかもがはじめてだったけれど
やってみて初めて知る面白さもあったし
わかろうとする努力は、その後の力にもなった
作者が書いているように
なるほどこれだけ科目が用意されていれば
ひとつくらいは興味を持つものもあるだろう
ひとつ何かをつかんでいれば
いつかそれが職業に結びつくかもしれないし
まだ学生の皆さんには
ぜひ一刻も早く”何か”をつかんで
自分らしい人生を歩みだしてもらいたいと切に願う
人生のあらゆる場面で、人は多かれ少なかれ夢を見る
想像はふくらみやがて妄想と化すが
ふと現実の自分に目をやった時
理想と現実のギャップに落胆すると共に
等身大の自分を見据えた上での夢へと
少しずつ思いも変化していくのが大人になるということだと思う
これは単に夢をあきらめたというわけではなく
”ちょうどいい幸せ”を模索しているのだ
ところが
根拠のない妄想の世界から出ようとせず
等身大の自分を見ようともせず
かといって何か努力するわけでもない人もいて
そういう人が超自然的な力を利用する目的で教会を訪れることがあるのは
わたしたちとしても頭の痛いところだ
こういう人はしばしば、自分が努力もしていないのに
「わたしはどうせバカだから」という言葉ですべてを片付けようとする
(あるいは環境や他人のせいにする場合もある)
しかし、これは自分がへりくだっているのではなく
単にヤケになっているだけだ
ともすれば
自分が上手くいかないのは神さまが才能をくれないからだ
と言わんばかりに責める人もいて
いやもう呆れるやら疲れるやら・・・
こういう横着な人に才能を与えても何の益にもならないことは
誰にでもわかることだ
生きていくということは決して楽ではないけれど
だからといってすべてのことが空しくて面白いことなど一つもないわけではない
今もしそれがないというのは
面白いことを見つける努力をしてこなかったと言えるのだと思う
仕事だってバリバリできる人もあれば、イマイチな人もあるだろう
趣味も、プロ並の趣味もあれば、いつまでも上達しない趣味もある
だからといって「どうせわたしは才能がないから」と腐っていたのでは
何をやっても上手くいくはずがない
自分に何が向いているのかは
自分で努力して発掘しなくてはならないのだから
とにかく何でもやってみようと思えば勉強することが重要だ
学校は嫌になれば退学すればいいかもしれないけれど
人生は寿命が来るまでは退学できない
ひとりの人間としてせっかく生まれてきたというのに
結局自分が何に向いているのか知らないままで一生を終えるのは
実にもったいないことだ
わたしの今の生活に
かつて習った数学などは全然役に立っているとは思えないが
何とか理解しなくてはヤバイとの危機感から必死で理解しようとした経験は
今もいろんな場面で新しいことを覚えようとする姿勢に結びついていると思う
最近盛んに言われている「生きる力」というのも
そういうところから培われるものかもしれない
(2007.1.17)
(3へ続く)
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