人生の分岐点
ここでは
2008年3月13日からブログ「ぶどう日記2」に記した
『人生の分岐点シリーズ10〜15』をアップしました
<10.実験屋の原点>
幼い時代の自分をふりかえると
本を読むことも絵を描くことも興味がなくて
年中お日様の下でごそごそするアウトドアっ子だったことを思い出す
かといって、スポーツが好きなわけでもない
遊び道具をいつも自然の中に探しているようなタイプだった
「子どもは誉めて育てよう」
そう提唱されるようになったのはいつからだろう
少なくともわたしが育った時代には特別そういうお勧めはなくて
親はそれぞれ自分の主義で誉めたり叱ったりしていた
そういえば、わたしが誉められた経験って何?と考えてみると
多分親はきっといろんな場面で誉めてくれたのだとは思うが
自分の中にはこれといった場面がなかなか思い出せない
そんな中で、2つほど印象に残っている事柄がある
ひとつは、まだ学校へ上がる前の時代、5歳くらいだっただろうか
スミレの花が咲く時期に
父方の祖母の家に遊びに行った時のことだ
それまで祖母の家に行くのはお盆の時期が主だったので
この年はじめてわたしはあちこちであふれるように咲く野生のスミレを見た
心がおどった
そしてそのスミレの花を摘むことにたちまち夢中になる
摘んで摘んで摘み続けて、いつの間にか4時間もの時間が経過していた
この「4時間」という時間の概念は当時のわたしの中にはまだなかったが
幼いわたしが4時間もスミレを摘み続けたことを祖母がひどく感心して誉めていたと
後で母から教えられ、それで「4時間摘んだ」と今でも覚えている
その時の祖母の言葉の意味は、わたしにはよくわからなかった
長い時間スミレを摘むことのどこがそんなすごいことなのだろう
ただ楽しくて摘んでいただけなのにねぇ・・?
ふたつめは、どろ団子作りの思い出だ
これは自分でもよく覚えているが
本当に熱心に「美しいどろ団子作り」に没頭していた時代がある(小学校低学年)
あの頃、誰に教わるわけでもなく、どろ団子作りに適した土を自分なりにさがし続けた結果
“軒下の乾いた場所の表面の粗土をどけて
出てきた堅い地面を手のひらでパンパンたたくと細かい粒子の土が集まってくる“ことを発見し
それを材料にして毎日のようにどろ団子を作った
水をどのくらい入れればちょうどいいとか
できた団子は日陰で乾かさないとひび割れてしまうなど
試行錯誤を繰り返しながら
やがて表面を手のひらで磨いてつるつるの美しい団子ができるようになると
この最終結果は自分でもかなり満足のいくものだったので
そこでどろ団子研究は幕を閉じた
それからしばらくして、母は感心したように当時を振り返る
その掛け値なしの誉め言葉はわたしを驚かせた
だって、どろ団子を一生懸命作ってもそれが何か役に立つわけでもないのに・・・
この2つの誉められた経験は
どちらも「意外なこと」として以後わたしの記憶に残ることになる
というのも
誉め言葉とは、もっと「価値のあること」に対して与えられるものではないか
子どもなりにそういう漠然とした感覚があったからだ
そして、「価値のあること」とは
勉強やスポーツができたり、特殊技能を持っていたり
それが将来「立派な大人」になる要素となり得るようなものだろうと考えていた
言わば、目に見える能力の部分に焦点が置かれ
目に見えない感性(持ち味)の部分までは理解が及んでいなかったわけだ
すくなくとも世間の価値観は常に目に見える部分に重点が置かれていたし
学校でも先生から誉められる内容はそういうものだった
わたしが何か目に見えるもので誉められた記憶をすぐに思い浮かべられないのは
それが全くないのではなくて
思い出すほど大したことがないからだと思う
目に見えるものは常に他人と比べられるものだから
ある程度なにか評価されたとしても、他人と比べた段階で色あせてしまう
だから、こういうことで親が一生懸命誉めてくれても
それは親の欲目でしかない現実を
子どもは成長するにつれてわかってしまうのだ
「スミレ」と「どろ団子」の思い出は
わたしが根っからの実験屋であることを表している
実験屋気質とは
『見てみたい 知りたい → どうなるのか実際にやってみたい』といった
心のうちの感動を体で表す・形にする欲求でもある
そのためには他人には意味がないような行動に没頭し
自分自身の手で確かめながら気が済むまで「価値がない」ようなこと
言ってみれば「一円の得にもならない」「時間のムダ」「労力のムダ」を繰り返す
誰のためでもない、自分に与えられた感動のために
そして、この感動を「ロマン」と呼ぶのだと思う
今思えば
ロマンの価値をわたしは幼い時に教えてもらったのだろう
すべての人間は感情を持っていて
そこには人それぞれの感動があるはずだ
しかしその感動はすべての人が共有・共感できるものでもない
たとえば「車好き」の人がいる
わたしのように車とは「人間の足=動けばいいじゃないか」という感覚の人間にとっては
車の性能を追求してわざわざ高いお金を払う価値は実感としてよくわからない
これは単純に頭で考えた損得だけで車を見ているからだ
ところが、以前スポーツカーに乗せてもらった時に
わたしは初めて車の性能を追求する意味を理解(体感)した
スピードを出した時に体に伝わる感覚が普通の車とは全然違うのだ
スピードが上がるほど車が道路に吸い付いているような安定感を感じ
急ブレーキをかけても体が前へひどくつんのめることがない
車と人間が一体化する感動と安心感には大きな価値があると
車のことなんて全くわからないわたしにも理解できたし
素直にすごい!と感動した
そして、その感動とは
車の開発に心血を注ぐ研究者の魂が形になって伝わるものであり
生きたロマンなのだと思う
うちにこのたび30年ぶりにやってきた新しいオーブンレンジに
わたしは今、限りない感動を感じている
それはただ単に新しいものを手に入れた喜びではなく
オーブンレンジ開発の歴史と
そこに携わってきた名前も知らない人々の心と熱意を見るからだ
それほど新しい機械の性能は素晴らしい、もう素晴らしすぎる
30年の長い年月の間には
どれほどムダと思われる実験が繰り返されたことだろう
実際に多くの損失を出し
一円の得にもならないムダを
意味のないこととして切り捨てなかった人々の研究者魂が形になっている
その生きたロマンがわたしを感動させるのだ
まだ「子どもは誉めて育てよう」などとわざわざ提唱しなかった時代には
人々の心は「良いもの」を作ることに価値観が置かれていた
子どもはみんなそれぞれの素直な感動を否定される時代でもなく
自由に自分の好きなことを模索したから
殊更に誉めてもらうことがなくても
自分の生きる価値や居場所をちゃんと見つけていたと思う
ところが、いつしかその価値観は「良いものを作る時代」から
「売れるものを作る時代」へと移り変わり
実験屋の良心はもうけ主義に押しつぶされていく時代が訪れた
こうしてロマンを求める実験屋は時代に取り残され
世間では楽をしてお金をもうける道を模索する風潮が目立つようになった
日本人の気質は昔から真面目で勤勉だと言われるが
真面目であるほど失敗を恐れ
失敗しないために無駄や遊び心を排除しようとする傾向がある
極端になると、無駄を罪悪ととらえている人もいて
これが高じると心の病を発症し
自分の行動すべてに自信がなくなってしまう
というのも
人間は多かれ少なかれ無駄をせずに生きてはいけないにも関わらず
それが許されないことで混乱してしまうからだ
ロマンは見える形になってはじめて社会に認められるが
形になるまでは単に無駄で馬鹿馬鹿しい世界かもしれない
やっていることが世間に認められないならば
そして更にそれがお金に結びつかないなら
それはみんな意味がないという価値観は
人間の持ち味と遠い未来の可能性を否定する
それが現在の子どもたちに生きる意味を見失わせている原因のひとつだ
励ましのためにいくら誉め言葉をもらっても
それが勉強とか習い事とか他人と比べられるものである限り
誉め言葉も負担になりかねない
世の中は不思議に満ちていて
特別なところへいかなくても、すぐ側に色んな面白い世界が広がっている
あの「スミレ」と「どろ団子研究」の時代から40年
わたしは結局ずっとこの「面白い世界」と無縁ではいられなかった
(2008.3.13)
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