人生の分岐点
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“思春期になると子どもは親と口をきかなくなる”説についての考察
小さな男の子がお母さんに甘えながらおしゃべりしている
お母さんも嬉しそうに笑ってその子の相手をしている
その微笑ましい様子にこちらまで楽しくなって
「可愛いですね〜」と話すと
そのお母さんは答えた
「今は可愛いけれど
これが大きくなったら口もきいてくれなくなるんですよね」
わたしは今までこれと同様の会話を何度も交わしてきながら
どういう過程をたどりながら子ども(特に男の子)が親と口をきかなくなるのか
それを観察してみようと前からずっと考えていた
うちでは息子にしても娘にしても、小さい時からおしゃべりで
それはもう競うようにして今日あったことなどを報告していたものだが
思春期と呼ばれる小学校高学年になっても、中学生になっても
どうも親に対して無口になる様子がない
そして息子はついに高校生になって、卒業間近の今にいたるまで
相変わらず色んな話をし続けている
昨年わたしはついに息子に質問してみることにした
「一般的に、特に男の子は思春期になると親と口をきかなくなるというけど
あなたはいつまでも相変わらずおしゃべりなのはなぜ?」
すると息子はすぐに言った
「こっちの友達はみんな親と普通にしゃべってるよ
中には母親とまるで漫才のような会話しているのもいるし
だいたいみんな楽しくやってるみたいだね」
その意外な答えに思わず拍子抜けしたというか、安心したというか
何にしても“みんな”が口をきかなくなるわけではないことが判明したわけだ
でも、世間の常識では“しゃべらない説”が一般的になっているのはなぜだろう
このギャップが一体どこから来るのか知るために
更に息子に色々聞いてみた結果、こんなイメージが伝わってきた
・息子の友人は個性的な子が多い(変人が多いともいう)
・それぞれ独特の趣味や得意分野を持つ
・親が子どもの個性を知っていておおらかな対応をしている
(親があきらめていると言う説もあり)
・子どもがのびのびしている
・ある程度の自信を持つ一方、過度のプライドがない
特殊な境遇で親子のコミュニケーションがとれない子どもは例外として
小さな子どもたちというのは大抵親に色んな報告をするものだ
自分が見つけたものや作ったものを持ってきて
「ママ見て〜」と言っている姿はどこでもよくみかける光景だと思う
それを見た親の反応も
「すごいね〜」とか「いいねえ」と楽しそうであれば
子どもは満足そうにまた遊び続ける
子どもの年齢が小さいほど
例えどんなつまらないものを見せても
親は感動してくれるものだ
子どもは親(特にお母さん)の笑う顔が何より見たい
それを言葉で言い表わす子は少ないけど
親を喜ばせたいとの思いは
年齢が増しても大抵の子どもに共通した思いのようだ
習い事や勉強やスポーツなどで頑張っていると
成果があがった時には親は大いに喜んでくれる
だが
子ども達の中には、自分がそれが好きだからというよりも
親が喜んでくれるからということを励みにして頑張っている子もいる
早いうちに自分の持っている得意分野を発掘した子は
その分野においては(あくまでもその分野限定だが)
そのまま自然に自分のペースで努力しながら伸びていく
好きなことなら努力も苦にならないから
自然と一生懸命やれるのだ
ところが、なかなか得意分野を発掘できずに
迷ったまま思春期を迎える子がいる
それまでは親の敷いたレールを進みながらある程度の地位を保ってきても
もしそれが本当に自分の得意分野でなかった場合には
この時期から逆転劇が起きてくる
勉強にしてもスポーツにしても
本当にできる子ども達は中学生からの伸び方が違うのだ
こうして
子どもの年齢が上がるにつれて
親の笑顔を勝ち取るハードルは高くなる
例えば
小学生の時にはいつも100点のテストばかり親に見せていた子が
中学生になったとたん
堂々と見せることのできるテストがないなんてこともある
これでは親に合わせる顔がないから
なかなか面と向かって話をすることもできない
思春期は体が変化する時である他に
その子の持っている特性が一気に伸びる時期でもあるにもかかわらず
今までやれていたことが頭打ちになり
この先何を頑張っていいのかわからない状態では
親に何と話していいのかさえもわからなくなってしまうだろう
更に、小さい時から非常に過保護に育っている場合には
いつも親が先回りして何でも用意してくれるのが習慣になっているので
自分から何かを探そうとか、生み出そうとする力が欠けている
そこにあるのは根拠のないプライドであり
素直に助けを求める勇気もない
元々“等身大の自分と向き合う”ことがなかったため
現実の姿を見ることも恐ろしくてできないのだ
趣味や特技や得意科目などを通じて
この時期までに、ある程度の“自分の世界”をもっている子どもは
まだ漠然としたものであっても
将来あんなことやこんなこともやってみたいという
生きる目標や夢が見えている
もしその夢を語る時、親が笑顔で聞いてくれたら最高に嬉しい
ただし、“自分の世界”をもつがために
かえって無口になる子どももいる
それは自分の中で構想を練ったり色々考えるのが忙しいからで
言ってみればポジティブな無口状態になっているのだ
これは落ち込んで悩んでいるのとは違う
考えることが多くなれば無口になる時間も多くなるのは自然のことだ
このように
中学生になるといろんな意味で子ども達の間に格差が生じてくる
そして中には、不安感や焦り、心の乱れから不登校になったり
親子の会話が途切れてしまう子どもも出てきて
いつしか“思春期になると子どもは親と口をきかなくなる説”が
定説になっていったのではないかと思うが
どの子どももそうなると初めから思い込んでいるのは危険すぎる
なぜなら、本当に自分の子どもがそうなってしまった時
「みんなこうなるのだから今はそっとしておきましょう・・」と妙に納得して
事態を手遅れにしてしまうからだ
そうなったら何よりもまず話をしなくてはならないのに
そして、親の期待が負担になっていることや
それを言い出せないでいる現状などを
一刻も早く聞き出さなくてはならないのに
「時期がくれば解決する」とか
はなはだしいのは「落ちるところまで落ちればわかるでしょう」などと
まるで教育を放棄しているとしか思えない言葉が出てくるのは
何か間違った思想に洗脳されているとしか思えない
(2007.1.23)
(5へ続く)
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