人生の分岐点



<5>

“思春期になると子どもは親と口をきかなくなる”説についての考察
<4>からの続き

これと同様に
“女の子は年頃になると父親を嫌うようになる説”も決して一般論ではない
初めからそう信じて父親が娘に嫌われないようにと媚びていたら
かえって威厳を損ない、嫌われる元を作るようなものだ
今年のお正月のニュースで
娘のかわりに福袋を買うため
早朝から並んでいるお父さん達の姿がテレビに映し出されたのを見たときは
とても不思議なものを見ている感じがした
そして、それが当然といわんばかりの女の子たちの発言には思わず目が点に・・

いや、最近のテレビ番組というのは
30〜40代の父親がこぞって子どもの都合に合わせて休みをとり
すべてのこと子ども中心で家庭がまわっているかのような報道が目に付く
これを当たり前だと思って育つ子ども達にいくら“感謝する心”を教えても
本当に理解することは難しいだろう

昔から日本には「金持ち貧乏に育てよ」という言葉がある
たとえ裕福な家庭であっても
子どもには我慢させたり、つつましい生活を日常としていなければ
結局は将来その子が苦労するようになるということだが
今は普通の家庭でも子どもにだけは贅沢をさせるケースがかなりある
以前こういう話をすると
「子どものために親が一生懸命になってお金をつぎ込むことの何が悪いか」と
不機嫌になった人があったが
そこの家庭では親子の会話はメールだった・・・

それでも今はまだ“デメリットを想像できる人”がたくさんいて
今のところ社会は何とか機能しているが
学校はすでに危機的状況に陥りつつある
親が一生懸命子どもに奉仕するケースが増えている一方で
親を嫌う子どもも増えている
それはもう恐ろしいほどに・・・

そして
子どもが親を“ウザい”と思う原因のトップは“勉強”だ
ほとんどの子どもが言われなくても勉強に悩んでいて
指摘されることでますます焦ったりいらいらしたりする
“勉強”というのは
親の愛情と欲望が試される課題のようなものなのかもしれない

親は誰でも一生懸命に子どもを育てようとするが
一生懸命になるポイントが間違っていたら
それは非常に不幸なこと
それでも
“みんな”で一緒にポイントを間違えている場合には
間違っていることにもなかなか気がつかないだろう

学生時代、テストで悪い点をとってしまった時
思わずまわりの友達と点数を比べて
自分と同じか自分よりも悪い点をとっている子を見つけると
ほっとした経験がわたしにもある
確かにこれで一時的には気持ちがちょっと楽になるけれど
何も解決されるわけではないことは確かで
ここから何とかはい上がろうとしなくては
事態は全く変らないのだ

昔、中高一貫校に在籍していた当時
中学校に入った安心感から成績がどんどん低下していたわたしは
高校にあがる頃、同じような危機感に悩む友人2人と話し合った
「これからみんなそれぞれ一科目だけでも得意科目を作ろう」
その時わたしは化学を、ほかの二人はそれぞれ英語と社会を選んだ
そしてとりあえず選んだ科目に集中したら
その科目だけみんな成績がアップして
この先これで生きていける希望が湧いてきたのを今でも覚えている
これ、別にオーバーな言い方ではないのだ
ひとつ何かを持っているというのは、想像以上に大きな力になるし
その時選んだ科目が3人とも得意科目となって
その後の進路も
結局その得意科目を生かした方面へと分かれていったのだった

わたしはこの時の何とかしてはい上がろうとした気持ちを
今でも鮮明に覚えており
この経験は今日のわたしにとって支えともなっている
なぜずるずると落ちるにまかせていてはいけないと思ったかといえば
それは一番に“親に申し訳ない”という気持ちがあったからだと思う
せっかく私立中学校に行かせてもらいながら
これじゃあ面目ない・・・
もはや自分に対するプライドなんて全然なかったが
親が勉強についてまるで何も言わないのが余計に心苦しかった

親に対して“申し訳ない”とか“感謝”とかいう気持ちを持っていることは
落ち込みからはい上がるための大きな原動力になる
これを持っている子どもは
ギリギリのラインから自分を落とさないように
自らに歯止めをかけることができる気がするのだ

では、感謝する心というのはどうやって育つのだろうか

(2007.1.23)


(6へ続く)



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