人生の分岐点
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先週(1日)、NHKで『要求する親 問われる教師』という題の番組があった
そこでは給食費不払い問題に見られるような身勝手な親の姿が浮き彫りになっており
ついにココまで来てしまったのかと思わず目が点に・・・
「わが子にあったカリキュラムを作って欲しい」
「担任は子どもに選ばせて欲しい」
「仲の良い子と同じクラスにして欲しい」
「卒業アルバムにうちの子どもの写真が少ないから作り直して欲しい」
「朝先生が子どもを起こしに家まできて、学校へ連れて行って欲しい」
「給食費を払っているのだから、休んだ時は給食を家まで届けて欲しい」
「子どもが何時に学校を出たか常に連絡して欲しい」
覚えているだけでざっとこんなことが言われていたが
この究極の自己中心思想に基づく親の行動は
やがて教師を自殺にまで追い詰めた事実も報道されていた
自分の子どもが授業を妨害したために廊下へ立たされたことを恨みに思った母親が
“授業を受ける権利を奪われた”と言って学校側を訴えたのだ
ここには自分の子どもが迷惑をかけたことに対する罪悪感は全くなく
あるのはひたすら権利を主張することばかりだ
以前も書いたように
今の日本には義務を果たさず権利を主張する風潮が非常に強くなっている
これはそのまま“努力はしたくないけどお金は欲しい”という短絡的な発想に結びつき
“お金だけでは物足らないのでついでに名誉も欲しいし人からちやほやされたい”
と、自分の能力はさておいて要求ばかりがエスカレートする
更にそこには平等思想も加わって
周りと見比べては、自分が少しでも見劣りしている部分があるとそれが許せなくなるのだ
ない時にはないなりに辛抱して(努力して)何とか過ごしていたものも
一度与えられる経験をすると、もう次からは更にもらうことを望むようになる
こうなってくると
何が何でも権利を主張してもらうものをもらわないと損だと思い
豊かな人間性や品格といったものには価値が見出されなくなるらしい
これを昔の人は”欲に目がくらむ”と表現したが
本当に正しいことが全く見えなくなる程に欲は人の心を支配する
こう書いているわたしとて、どこで欲に目がくらむかもしれないと思うと
時々恐ろしくなることがある
多分、それですっかり変ってしまった人々を見てきたからだろう
そのため、金銭的なことや名誉なことなど諸々の”魅力的な話”には
極力のらないように心がけているが
時々後ろ髪をひかれるようなことがあるのも事実だ
昨年には、思いがけないところから雑誌投稿のお誘いをいただき
一瞬ちゅうちょしたものの結局すぐにお断りをした
わたしはこうして自分のサイトの中では好き勝手に色々書いている
このサイトに書く間はわたしは必ず素のままのわたしなのだが
これが一般に出回る本ともなれば
わたしはもしかして自分を飾ろうとするかもしれないし
かっこよく見せるためにデータをねつ造したくなるかもしれない
だからこれからもわたしは自分のサイトから出ないでおこうと思うのだ
さて
このところ世間を騒がせている厚労相の「女性は産む機械発言」について
わたしはなぜこの問題がここまで騒がれるのか疑問に思っているひとりだ
確かに「産む機械」というフレーズだけ抜き出せば
それは選ぶ言葉を間違えたなと思うけれど
彼が言おうとしたのはあくまでも
「女性しか子どもは産めないのだから頑張ってほしい」ということだ
今少子化問題を話し合うにあたって一番大切なのは女性の機嫌をとることではなく
結婚して子どもを産もうという気持ちになるように女性を啓発することではないだろうか
少子化問題を解決するための方案として出てくるのは働く女性が有利になることばかりだ
それに答えるように
育児休業制度、子育て後の再就職制度などさまざまな制度が導入され
昔の働くお母さん達に比べてはるかに恵まれた環境になっているにもかかわらず
出生率は一向に伸びていない
わたしが第2子を出産した後から、出産育児一時金は倍額になり
以前は第3子からしか支給されなかった児童手当も今は第1子から支給されるのだ
育児用品も次々便利なものが開発され
どんどん子どもは産みやすくなっているはずなのに
なぜかマスコミで語られるのは出産育児のマイナスイメージばかり・・・
結局のところ
女性の要求をそのままのんでいても
肝心な少子化にはちっとも歯止めがかからない
女性の権利の問題と少子化問題は切り離して考えなくては
どうやらいつの間にか問題がすり替わっているような感じがする
こんなことを男性が書くときっと袋叩きに会うのだろうなあと思いつつ
わたしは女なので堂々と書くのだが
正直言って、女性の権利を主張する人たちの自己中心理論を聞いていると
自分が同じ女性であることが恥ずかしくなる
あれはもう男女平等ではなくすでに女尊男卑ともいうべく一方的なもので
もし彼女達が要求するまま男性が家事育児を分担し、休日も家族サービスをし
お小遣いは削られて、憂さ晴らしに飲みに行くこともままならなくなれば
やがて心療内科のお世話になったり
仕事に支障をきたすことになるのは必至だ
人間てそんなに強いものじゃない
一度崩れた心のバランスは容易に戻ることはなく
家族が協力しなければ、それは悪化の一途をたどる
家族のために働く人は家族が守らなくてはならない
一家の大黒柱がきちんといい仕事ができるように協力する
それが家族というものではないだろうか
少子化が止まらない原因は、女性が働く環境問題以前に
若い女性が結婚しないことにある
どうすれば彼女達は結婚に前向きになるのだろう?
(2007.2.5)
(9へ続く)
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