老いること


多くの人は
ある一定年齢になると
「昔はもっと手早く仕事ができたのに」とか
「だんだん何もできなくなってきた」
と、ぼやき始める

お年寄りの話によると
まず60になった時に”老い”を意識し
その後は毎年老化が進むのを
嫌でも感じずにはいられないのだという

一線を退いてからは
気がついてみると
いつしか自分を取り巻く人の様も移り変わり
家族と共に居ながらも
喪失感と孤独感に包まれる事も少なくない

一生懸命生きてきた自分の人生は何だったのだろう・・・
老後の楽しみ方を
自分なりに色々考えてはいても
それは若い時の自分が基準だから
実際にその年齢になると体がついていかない

また
頼みの綱の年金制度もいまや崩壊寸前で
『お年寄り=お金持ち』の図式も
ある年代を境に崩れていくようだ

その”ある年代”の境のひとつが
昭和ひとけた生まれとふたけた生まれの違いで
ちょうど昭和10年生まれのわたしの母を見ていると
昔いわれていたことと、今の現実は
ずいぶん違ってきているのがよく分かる

年金制度も途中で色々変わる一方で
医療制度も変わって
従来は65歳から受けられた老人医療手当も
65になる頃には70歳へと先送りとなり
そして70歳を目前に
今度は70歳は”準老人”で
実際の老人扱いは75歳に先送りだという

今、高齢者の心の問題が深刻化し
自殺者も後をたたない
その原因のトップは「病苦」だが
高齢者の抱える病気は心意性である事も多く
心の不安定がそのまま体に影響してるところもあるようだ

今から2年前
『管理人のひとりごと』の「老後を生きる」の中で
わたしは母のことを色々書いた
ここをお読みになる方は
できればそちらをまず先に読んでいただけたらと思う

あの時点ですでに自分の楽しみを持ち始めていた母は
更に今日までの2年間で多くの経験を積み重ねてきた
お菓子を作り、パンを焼き
野菜を栽培する
そして色んな楽しみと挫折の経験の中で
結局この3つが今、母の生活の中で主流となり
特に試行錯誤の野菜つくりのために
頭の中は余計なことを考えている暇がない

しかし、一方で
母が3年前から患っている足は悪いままだ
何をしてもその不自由さがネックとなり
そこから来る不安感が
時折自分の行動を制限させるかのように迫ってくる

ところが面白いことには
足の調子が悪くてじっと寝ている間は痛みは消えず
むしろ外に出て野菜をつついてる間の方が
痛みが楽なのだそうだ
こういうのが俗にいう”ヒーリング効果”というものなのだろうか

3年前
もしかすると車椅子の生活になるかもしれないと覚悟した時
母は少なからず落胆する一方で
その時すでに編物を習っていたので
もしそういう生活になったとしても
自分にはまだ「手」があるのだから座って色んな仕事もできる
と考えた事から
急に気持ちは前向きになった

老後を生きるという課題は
ただ単に趣味を持っていれば良いというだけの単純な問題ではない
そこには若さも健康も配偶者も友人も
お金も社会的地位も人間関係も
今まで持っていたものがすべて失われていくことを受け入れる潔さと
それでいいのだと思う寛容さが要求される
これは人生最後の大きな関門だ

ある高齢者はこう語る
「年寄りというのは家族の中の異分子なんですよ
それを自分でちゃんと認識しなくてはならない
自分が家族の中心であった時代はすでに過ぎ去りました
だから自分は自分の世界をもって
自立して生きるように務める
そうするのが自分にとって一番幸せです
昔は
誰にも迷惑をかけまいと頑張っていましたが
(そうできると信じてもいましたが)
体がついていかなくなれば意地を張ってもいられません
それも良しとしなくてはならないのです」

この言葉は
聞き方によっては実に寂しく
まるで人生をあきらめているかのようでもあるが
実は自分自身の心を最も安定させる考え方なのだと思う
例え周りをとりまく家族や友人によってどんなに優しくされたとしても
高齢者自身の心が閉ざされていれば
その優しささえも負担に感じたり
かえって卑屈になったりしてしまうだろう

高齢者のうつ病は
実は独居老人よりも同居家族のある老人に多い事実を考えると
家族の中にある孤立感から自分を救うのは
自分自身の生きる姿勢にかかっているのかもしれない

若い世代が考えている”老後の備えや計画”は
ほとんどが金銭問題のことで
こういう心の問題にまでは考えが及ばないのが現状だ
老後はのんびり夫婦で旅行でも、、と言っている人のどれだけが
その楽しい計画を現実に体験できるだろうか
子どもや孫に夢を託していても
そのうちどれだけの人が報われるのだろうか
理想とはかけ離れた現実を見るたびに
人の計画の空しさというものを思わずにはいられない

これは
90歳で天国へ行った祖母(母の実母)が
その召される一ヶ月前に作った人形の服の写真だ



若い頃に洋裁を一生懸命勉強し
物資不足の時代にはアメリカから送られてきた服を
家族の服にせっせと仕立て直しながら
その後もいろんな場面で
自分の技術を存分に発揮してきた祖母の
これが人生最後の”仕事”となった

加齢による衰えと素直に向き合い
できる範囲に仕事をどんどん縮小しながらも
最後まで自分の世界を持っていた祖母は
いつも穏やかな人だった

祖母にとって
大きな服を縫っていた時代も
小さな人形の服を作っていた時代も
どれも楽しみの程度は同じで
こんな小さなものしかできなくなってつまらないとは言わなかった
だからこそいつも穏やかでいられたのだろう

当然のことながら
”老い”は誰にでもやってくる
自分が思うようにならないことで
人に八つ当たりしたり
社会を恨んでみたりしても
自分自身何も変わるものではないし
誰も自分に合わせてはくれないのだ

自分の今ある環境や状態に満足できず
『自分探し』をしている若い人も
長く旅を続けている間には
今の自分も時間もどんどん失われていくことを忘れてはならない

自分の世界は自分の足元にあり
人はどんな境遇にあっても自分の世界をもつことができる
人生はちゃんと平等にできているのだ

人に誉められるためではなく
自分が日々感謝して生きていくために
小さな楽しみに価値を見出して
それを喜びとしていきたい

人には誰でも「認められたい」という願望があるが
そういう心から離れるほど
人生の終焉は穏やかに迎えることができるのではないかと思う

(2004年記)


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