善の行方



<6.人目の重圧>

昭和40年10月
父が開業するため、わたしの家族はこの町に引っ越してきた
当時わたしは4歳になるところで
自然の中を駆け回るのが好きな野生児であった
それまで住んでいた家の庭では
母が草花を育てており
それらはわたしのままごとの材料になっていたため
引っ越してきたばかりの頃は
隣家のシクラメンの花を全部摘み取ってしまったり
うちの医院の壁に炭で落書きしたり
事の善悪もよくわからないまま、周りに迷惑をかけたらしい
保育園時代の記憶といえば
先生の机の下に入り込んでいたわたしに向かって
先生たちが「こんな子は見たことがない」と
どうやらあまりよろしくない意味の話が聞こえてきたことだけが鮮明に残っているし
父にプラネタリウムへ連れて行ってもらった際には
天体に全く興味もなく、アナウンスのおじさんに野次を飛ばして騒ぎ
とても優しかった父だが、さすがに「もう連れて行かない」と母に言ったという
小学校に上がれば
毎日まっすぐ帰らず道草三昧
その上、母が学校へ行くと
「いつも宿題をしてきません」と先生から叱られた
いや、わざと宿題をしないのではなく
そもそも宿題をしなくてはならないという意識がなかったのだから
全く悪気はなかったわけだ

父は毎日仕事で忙しかったし
母もその父をサポートするのに忙しく
おかげでわたしは親からいちいちガミガミ言われず
のびのびとお気楽に育っていた
とはいえ、危険なこと、迷惑をかけてはいけないこと、恥ずかしいこと
あるいは礼儀、言葉づかいについても
母がそのたびに教えてくれたので
そういう教えは素直に受け入れて
だんだん普通の人間らしく(?!)成長していったと思う

こうして、親に冷や汗をかかせつつも
わたし自身はマイペースで幸せな子ども時代をすごしていたのだが
その時代はあることをきっかけに変わっていく

あれは10歳の頃
新しいお店ができたので
わたしもさっそくお菓子を買いに行った時のこと
好みのお菓子を見つけて、お金を払おうとしたところ
店員のおばさんが、お金はいらないというのだ
見ず知らずの人から物をもらうのは良くないと判断したわたしは
「いいえ、払います」と答えてお金を出そうとしたら
そのおばさんが猛然と怒り出した!
「あんた、医者の子だからって偉そうにっ!!」
わたしは一瞬なにが起こったのかわからず
とりあえずお金を投げ出すように置いて店から逃げ帰った
それ以来その店には二度と近づかなかった

その時わたしは初めて
自分が父の子として人から特殊な目で見られていることを知るに至る
しかも人は真実の姿を知らずに勝手なことを言う
人の目には
医者の子はいつもぜいたくな暮らしをして
偉そうでわがままに違いないと映っているらしい
その感覚は、地味な暮らしを好む両親の生き方とは遠く
わたしにとっても身に覚えのないものだったが
そういう目で見られていることを知って以来
わたしは人が怖くなった

その後、こうした勝手な偏見で嫌な目にあうことも
反対に、妙にちやほやされて居心地悪い思いをすることも
両方ともいろいろ経験しながら
やがてわたしは
親に恥をかかせないように良い子でいることを自分に課すようになる
当時のわたしにとっての善は、本物の善ではなく
人からとやかく言われないための自己防衛手段という意味合いが強かった

また、兄が中学受験のために塾に通いはじめ
○○先生の子がどこの中学に受かったとか
そういう類の話をひんぱんに聞くようになると
医者の子は勉強もできなくては親が恥をかくのだと知り
小さい時から読書が好きで勉強もできる兄に比べて
そういう素養が何もないわたしは焦りを覚えた
それでもそこから何とか勉強も頑張り
やがて第一志望の中学には入ったが
その頃にはすでに大学受験の話が話題に上っていて
△△先生の子が医学部受験に失敗して浪人中とか
どこもみんな大変な様子がひしひしと伝わってきていた
更には、医者の子が医学部へ行かない場合
それはすべて「(学力が足らず)行けない」のだと思われてしまうことも
だんだんわかってくるにつれ
何とも狭い世界にはまり込んでいるものだと感じた頃に父が亡くなった
こうしてわたしは
一気にその世界から悲しい形で解放されたにもかかわらず
わたしの中の善は
何か変な飾りをつけた中途半端な状態のままで残っていく

この”変な飾り”とは
人からとやかく言われないための自己防衛手段であり
親から良い子だと思われたい(愛されたい)との思いでもあった
そして
そのために失敗したくない気持ちを強く持つようになったことから
やがて『神経症との戦い』に記した状況へと転じていくのである

こんな経緯があるからこそ
わたしは子どもたちがそれぞれ、人を怖れることなく
堂々と好きな道を歩んでいくことを嬉しく思う

『善のみ行って罪を犯さないような人間は、この地上にはいない
 人の言うことをいちいち気にするな
 そうすれば、しもべがあなたを呪っても、聞き流していられる
 あなた自身も何度となく他人を呪ったことを
 あなたの心はよく知っているはずだ』
    (伝道の書7章20-22節)
     


(2012.8.7)



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