善の行方



<7.遊び心>

数年前、「ちょい悪おやじ」という言葉が流行った時
わたしはその言葉だけ聞いて、直感的に
それって夫のことかしら?!と思ったものだ
元はファッション誌から発生した言葉らしいが
一般的にはどんなイメージなんだろうと思い調べてみると

”遊び心を忘れないおしゃれなおじ様”
”ちょっと悪ぶってて、それでいてかっこいいオヤジ”
”若い女の子に嫌われない、逆に好かれる”
”反骨精神旺盛で人生経験豊富な人”

といった好意的なフレーズが出てきた
この中で、わたしが夫のこと?!と思ったイメージワードは”遊び心”
いや、本人はきっと
おいおい、もっと他にいい言葉があるじゃないか〜と言いそうだけど?!

遊び心とは、辞書によれば
”まじめ一方でなく、ゆとりやしゃれ気 のある気持ち”
型にとらわれない自由な感覚であり
そこには常にユーモアやジョークがついてくるが
人によってはそれをよろしくないと思う場合もあるだろう
でも、そんなことはいちいち気にしない

うちでは大きなクモが出ると、たいてい夫がつかまえてくれるのだが
その後、子どもたちはそれぞれ自室に逃げ帰って鍵をかけるのが習慣だ
なぜなら、夫はそのクモを持って嬉しそうに見せに来るのだから、、、
というわけで、子どもたちにとって父親は
頼りになるヒーローであると同時に
常に油断できない危ない存在なのだった
だけど、その危なさもまた子どもたちにとっては遊びと同じ
そういう感覚でワーワーキャーキャーやりながら育ってきたので
夫が何もしなくなったらきっとみんなつまらないと思うだろう

子どものころ、めくらの子と呼ばれて、大人からもいじめられた夫は
だからといって、卑屈になり、うつむいて生きるようなことはなく
多趣味で、色んなものに興味を持ち
自分で自らの人生を面白くする「幅の広い生き方」を提言してきた

人の生き方が広くなるか狭くなるかは
多くの場合、親の影響が強いと思われる
何しろ物心ついた時からずっと見習い続けている存在なのだから
影響を受けない方が難しいかもしれない

夫の母(わたしにとっては義母)は、裕福な家の生まれだが
小さい時に病気で目が見えなくなり
心配した親が琴を習わせて将来に備えていたという
戦後、盲学校で義父と知り合い結婚
(詳しくは『障害と向き合う』に記している)
その後どれほどの苦労があったかは計り知れないが
それでも義母はとても穏やかな人で
いつも自然体で、ユーモアがあり、誰からも好かれた
わたし自身、そんな義母には本当に良くしてもらったので
どうしたらこんな良い人になれるのだろうと憧れたものだ
それで、ある日二人で台所に座り込んで話をしている時に
「どうしてお母さんはそんなに良い人なの?」と聞いてみたら
義母は笑いながら答えた
「わたしはバカなのよ」
その答えの意味が中途半端にしかわからなかったわたしは
とりあえず、「わたしもバカになりたい」と思ったものだ

そして、今ごろようやくその時の意味がわかるような気がする
かつて、失敗しないことに固執していたわたしは
一生懸命、人からバカにされないように努めてきたのだろう
だから余計に人が怖かったのかもしれない
でも、そんな事に一生懸命にならなくても
別に誰もバカにしてこないし
わたしは何の幻と戦っていたのだろう?と今は不思議に思う

遊び心は心のオアシス
よく、これから結婚する人たちが「理想は笑いの絶えない家庭」というけれど
この場合の笑いとは、きっとバカみたいなたわいもないことだろう
バカみたいなことであっても、仮にそれを他人がバカにしようとも
家庭は他人に作ってもらうものじゃないし
家族が楽しければそれでいい


(2012.8.9)



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