〜単立教会になるまでの思い〜


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1954年(昭和29年)7月
当教会初代牧師は
イエス之御霊教会教団の教役者となり
それから46年間
当教会は教団に所属する一教会として歩んできました
その長い歴史の間にはさまざまな出来事があり
紆余曲折を経て
2000年の教団新監督就任を機に
どこにも所属しない単立の道を選ぶ決意をしたわけですが
ここでは
そこに至るまでの思いや考えなどを記し
そうすることで
当教会の根本的な考え方や方針を具体的に示すことと致しました

なお、現在の牧師がまだ幼少の時代の話については
初代牧師から常々聞かされていたものであり
個々の教会によって
その感じ方については異なるところもあるかと思われますので
その点ご了承くださいませ

(2004年 9月19日)

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当教会が教団に所属するようになった当時
教団は非常にカリスマ性のある教団初代監督によって
秩序正しくまとめられていました
以下は、教団の方針について記された書物からの抜粋です

本教団は、監督政治ではあるが
全教会が主御自身の支配下にあって、御霊の一致を保ち
その根本教理は、全教会に浸透している故
教会は牧師一任主義として全権をもち
牧師は全部無月給
教会はいかなる理由があっても
財的には、他にその援助を乞わない
このため、政治的会議はいっさい開催しない

教団という目に見える団体は
監督というやはり目に見える人によって運営されていました
しかし根本的には
この教団は神によって立てられ
神によって導かれるもので
教団神学校『日本聖書大学院』にて2年間聖書の根本教理について学んだ後は
個々の牧師はただその”教え”だけを持って
神より導かれた任地へと赴いたのでした
ここから先はすべて牧師が教会を運営し
教団本部からの転勤命令などは一切ありません
牧師は天に召されるその時まで
自分に与えられた教会でその任に当たるものとされていたのです

教会によっては順調に信徒数も増え
やがて新築の教会堂が与えられるまでになるところもある一方で
こつこつと伝道活動を続けても
いつまでも信者が増えないところもありました
それでも
”百人につかわされる器あり、ひとりにつかわされる器あり”と
牧師にはたくさんの信者を導く者もあれば
たったひとりの信者を大切に育てる教会もあるのだと教えられました
その言葉は
多くの教会に勇気を与えたものです
誰でもできれば”百人につかわされる器”となりたい
教団からは何の給料も出ないのですから
信者数が少ないということは即貧しい暮らしを想像させます
しかし
貧しさの中で自分の弱さを知り
思いがけないところから日々の暮らしに必要なものが与えられる中
牧師は神の愛を知り
神に頼る信仰生活の意味を
自分の身を持って証していました

当教会の初代牧師が教団に入った昭和29年頃は
日本はまだ戦後の貧しさを引きずっており
生活は決して楽ではありませんでしたが
その中でお互いが励ましあい助け合い
そうして日本は徐々に復興していきました

教団の中もそれと同様に
神学校を出て教会を持つようになっても
決して思うようにいかない教会運営についてみな悩み
それを牧師同士励まし助け合っていました
教団主催の集まりである大聖会に参加するために
鈍行列車に新聞を敷いて横になり
そのインクで真っ黒になりながらようやく丸一日がかりで東京に到着すると
「よく来たなぁ」とみな再会を喜び
お互いの苦労話を語り
同労者をねぎらいました
大聖会のお説教では聖書のみことばについての解き明かしと
個々の教会に行われる神の不思議な御業などが語られ
夜には
牧師は監督と同じ宿舎にあって
朝まで監督の話を聞いて過ごしました
その話によってどれほど慰められ強められた事かと
当教会初代牧師は
晩年何度も何度もその話を繰り返していました

カリスマ性があり
人間的にも多くの尊敬を集めた初代監督ですが
自分を神の如き地位に置くような
教祖として教団を支配することはしませんでした
この事は今日まで
個々の教会においても
牧師は教祖のごとく信者の生活を支配することなく
聖書に従って正しい道に導く事に重きをおくべきとの教えとなって
当教会に残っています

更にもうひとつこの教団の大きな特徴は
”政治に介入しない”ことです
政治は政治を成す者に任せ
教会はあくまでも神の言葉を語る場として運営し
国の定めた基準に常に従い
政治的な反対運動などには一切参加しないというもの
この点は
私共が教団を離脱するまで守られていたと思います

さて
この理想的ともいえる教団は
1970年の初代監督召天を機に新しい方向へと動き出しました
すでに教団にはたくさんの教会と牧師が所属し
その後も教団の規模はどんどん大きくなっていきましたが
貧しかった時代が去り
世の中が繁栄するようになるにつれ
教会にも”格差”が顕著になってきました
やがて
金銭的物質的に豊かな教会を『恵まれた教会』と呼ぶようになり
貧しさを恥と思う風潮が訪れます
昔は心の豊かさが信仰のバロメーターでしたが
いつの間にか
その基準は世の中一般のそれと変わらなくなってきたのです

すると
大聖会のお説教にも
各教会の成功話ばかりが語られ
牧師同士の交流にあっても
恥と思われる事はお互い話さなくなりました

”貧しくあれども喜び歌いて住むやもめよ
なにゆえこの家は平和に満つるや
語り継げよ
『イエスはわれのすべてなればイエスはわれのすべてなれば』”
(聖歌473番より)

かつてこう歌いながら
変わりばえのない現状の中でも
神にある者の平安をよりどころとしていた時代は
過去のものとなりつつありました
これを非常に寂しく感じていた教会は
当教会のみならず
かなりあったと思われます
しかし
カリスマ的な指導者を失った教団の内部には
さまざまな押さえ切れない動きがありました
そのひとつが無理な伝道活動です

元々イエス之御霊教会は
その教義の中に
ヨハネによる福音書3章5節に記された『水と霊』
つまり
『洗礼と聖霊のバプテスマ』を受けることは”救いの関門”であり
そこを通る事で人は罪の許しを得て義とせられ
救いが保障されることを記しています
この『洗礼と聖霊のバプテスマ』を受ける条件については
他の各教団や教会の主義によって色々異なりますが
イエス之御霊教会教団の場合は
望む人は誰でも
聖書の勉強や何らかの修行をしなくても
すぐにその救いを受けられるので
一部で「洗礼の安売りをしている」と批判を受けています
しかし
使徒行伝の中では
実際に弟子達の話を聞いてたくさんの人がすぐに救いにあずかっているのです
イエス之御霊教会の教義は
カトリックでもプロテスタントでもなく
イエスの直弟子たちが伝道をはじめた当時の教会『初代教会』を模範としているため
救いの門戸を大きくあけているのです
この点については疑問に思われる方もあり
実際に質問のメールもいただいています
その返事を[よくある質問コーナー(2)]に載せていますので
適宜参照してください

このように
多くの人に対して救いの門戸を広げたという点では
イエス之御霊教会教団の功績は大きいと思います
しかし問題なのは
いつの間にか『水と霊』だけが信仰生活のすべてとなり
救われた後
神の前に正しく歩む信仰生活については、なおざりになってしまったことです
とにかく伝道さえしていればすべてが上手くいくかのごとき教えがまかり通り
一部の牧師がそれをあおったため
各教会も信者も争って無理な伝道活動に励みました
とにかく人数を稼ぐために
救いについての聖書の話もせず
はなはだしい場合にはそれが洗礼である事さえも語らず
「これは神の祝福ですから」とだけ言って
人を次々洗礼へと導いていた事もありました
いくらそれが人の救いのためとは言え
まるでだますようなやり方までするようになったということ
そしてその無茶は常道となり
教団の主流となっていったことは
私共の中に憂いとなって
それがやがて教団への不信感へとつながっていったのです
なぜなら
その主流派のやり方に同調しない者は
常に大聖会の説教においてたたかれたからです
かつて
各々の教会は”牧師一任主義”とうたわれ
それぞれ自由に活動していた時代は変わり
主流派に従わない者は冷遇される時代がやってきたのでした
何でも自由な発言が許される牧師と
そうでない牧師の格差が生じ
大聖会は昔とすっかり様変わりをしてしまいました

その頃の教団は
一部教会の暴走によって
雑誌で批判を受けるほどになっていました
色々なところで「無理矢理洗礼を受けさせられた」
との”被害報告”が出され
それが面白おかしく週刊誌に取りあげられたのです
『水と霊』の救いのみに重点を置き
キリストに習うものとしての
クリスチャンにふさわしい信仰生活の教育を怠った代償は大きく
現在でもインターネットを通じてさまざまな批判が語られています
それは
ずっとこつこつ地道な伝道活動を続けてきた多くの教会にとって
少なからぬ影響をあたえられることになりました

それから20年後
やっとこういった伝道方法は間違いであったと
教団の中で徐々に認められる時代が訪れます
誰にでも迷いや間違いはありますから
それも仕方がなかったとは思いますが
もしこれが本当の悔い改めにつながっていれば
あるいは教団も昔の状態に戻れたかもしれません
しかし教団は
そのような方向へは進みませんでした

激動の時代を教団と共に歩んで46年
その間
初代牧師と現在の牧師は
ほとんどの大聖会や祝福祭、献堂式、その他諸式典に参加してきました
そこで語られる内容は時代と共に変化し
中には聞きづらいことも多々ありましたが
その様子はひとつひとつ全て見てきました
人から伝え聞いた話にはその人の主観が混ざりますが
当教会がこれまで把握してきた内容は
全て自らの目で確かめ耳で聞いてきたことです
それらを冷静に踏まえた上で
教団はもはや私共の目指すところとは別の方向へと
流れていってしまうように感じていました

ちょうど
当教会の初代牧師が
イエス之御霊教会教団に入る前に在籍していた某教団が
ひとりの野心家が入ってきたため崩れていったように
教団から神の愛が失われ
代わりに人の欲が支配するようになった時
そこは実に居心地の良くないところになっていくのでした

この某教団に現れた野心家は
教団に学校や病院経営をさせてお金儲けをさせる道を選ばせ
集会の祈りの時間を制限し
病気の癒しの祈りには一回何円とお金をとるようになりました
神の教会が営利目的の企業になると
そこには神の働きが失われていきます
実際にその某教団は大きく崩れ
かつて栄えた姿はもはや見る影もありません
その後何十年も経ってから
初代牧師はこの野心家のもとを訪ねたことがあります
すると彼はクリスチャンをやめて
ある全く別の宗教の信奉者になっていました
彼にとってイエスさまとは一体何だったのでしょう

2000年
四代目の新監督が就任するに当たって
イエス之御霊教会教団は
私共が想像したよりも更に違う方向へと歩み始めました
その様子も大聖会など可能な限り参加して
よくよく見させていただき
同時に今後のことについてお祈りした結果
古き良き時代の教団の教義を保ったまま
単立教会になる道が示されたため
同年に教団より離脱して今日に至っています


教団を離れてみて思うことは
同じ教団に所属しながらも
個々の教会の信仰に対する考え方感じ方などは
随分違っていたという事です

私共の望みについては
昔あったように
信仰者同士が励ましあい助け合い
共に神さまによりすがって困難を乗り越えていきたい
ただそれだけです
そこには優劣も争いもなく
神の愛による平和を切に求めています

「愛は寛容であり、愛は情け深い
また、ねたむことをしない
愛は高ぶらない、誇らない
不作法をしない、自分の利益を求めない
いらだたない、恨みをいだかない
不義を喜ばないで真理を喜ぶ
そして、すべてを忍び、すべてを信じ
すべてを望み、すべてを耐える
愛はいつまでも絶えることがない」
(コリント人への第一の手紙13章4-8節)

私共は理想を追い求めすぎるのかもしれません
それでも
同じような志と望みを持つ教会は他にもたくさん存在しています
それらの教会も今は単立教会になっていたり
あるいは教団に所属している教会であったりもするわけですが
許されるなら
今後も多くの教会と交わりを保ち
神の同労者としての歩みを共にできればと願っています

「イエス之御霊教会」という名称は
いまや『新興宗教』や『カルト教団』のカテゴリーに分類されている場合もあり
私共にとっては非常に辛い状況となっています
それでも今はこうして地道に活動しながら
誤解を解いていくしかありません
いつの日かすべてのことが幸いになる時が訪れますようにと
心より祈る日々です。。




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