2001年4月の日記帳








■ 4/29 (日) ■
おいしい・・・・おいしすぎる。F-1スペインGP、トップを走行中のハッキネンが最終ラップでリタイアしてしまい、30秒ほど後方のミハエル・シューマッハが優勝してしまいましたね。たしかに嬉しいですけれど、ハッキネンの善戦も称えたいという気持ちがあります。勝負って、最後の最後まで分からないものですね・・・。
そのお陰で、HONDAのビルヌーブが表彰台に立つことができました。ほんとうにお目出度いことです。これからも、どんどん上位に喰い込んで欲しいところですね。

■ 4/28 (土) ■
やっとBGMを変えました。如何でしょうか? だいぶ前に作成したMIDIなんですが、今日、聞き直してみたらあまり良い出来ではないという印象ですね。
「月光」の次は「悲愴」かい・・・・、って声が聞こえてきそうです。この曲の冒頭部分はスローテンポのくせにリズムが複雑で、意外と打ち込むのに苦労した記憶があります。加えて、もの凄く重いでしょう? 打っている作業中は何回も聞きなおすので、ちょっと軽いノイローゼになりそうでしたよ。(笑) でも、総合的に評価して、とてもカッコイイ曲だと思います。

■ 4/27 (金) ■
ただいま。3日間のお出かけから帰ってきました。当たり前ですが、またまた連日連夜の飲みです・・・。今更のように気付いたのですが、ビールだけならいくら飲んでも二日酔いにはならないみたいです。翌朝がとっても楽! ただし、ビールはカロリーが高いんですよねぇ。あと、お手洗いが異常な程に近くなります。だからって、濃いお酒(ウヰスキー)に切り替えると撃沈してしまふ・・・・。世の中、うまくいかないもんですわ。(苦笑)
やだやだ、なんかオイラって酒の話ばかりしていますね〜。酒乱丸出しです。

■ 4/24 (火) ■
ついに小泉純一郎氏が総裁となりましたね。どちらかというと過激論者なので、この時代に合った人なのかも知れません。ひとつ確かな事といえば、彼がこれからえらく苦労するであろうこと。それでも、頑張って日本再生に尽力して欲しいですね。
意外だったのは、彼の親も政治屋だったことです。よく火を吐いているような人なので、そういったしがらみを纏っていない人だと思い込んでいました。
さて、メインページにも書きましたが、明日から数日間、留守をします。

■ 4/21 (土) ■
う〜、3夜連続で飲みでした。適当に飲んでいればいいのに、真面目に突っ走るわたくし・・・。ちと自己嫌悪になったりもします。でも、吐くまでは飲みませんよ。
というわけで、今日は何ヶ月ぶりかの休肝日です! ふぅ、やっぱりテンションが下がってしまいますね。
常にレトロで懐古趣味にビンビン訴える焼酎・二階堂のCMですが、いま放送されているのは下関ですね。先だっての旅行日記で私が絶賛した旧秋田商会のビルが映っています。あぁあぁ、セピア色に撮影されていて、やっぱり素敵ですわ。


■ 4/14 (土) ■
国道2号線沿いにあるメシ屋で夕食を平らげた後、国道へ入ろうとするとカッ飛ぶパトカー(クラウン)が通り過ぎました。「うわ、捕りもの?!」と思って、ワクワクしながら走っていたのですが、なぜか渋滞になってしまいました。ひょっとして追われている車、もしくはパト車が事故ったのかと思い、引き返して裏道を通るという選択肢を蹴って、野次馬根性で待つ事にしました。(苦笑) ひょっとしたら、単なるスピード違反とかじゃなく、もの凄く大物指名手配者の捕り物なのかな・・・とか、妄想は膨らむばかり。でも、現場の一歩手前でオマワリさんからUターンを指示されましが、ここまで来て引き返すわけにはいかないので、歩いて現場へ急行しました。現場ではパトカーがたくさん泊まっているだけで、特にひっくり返っている車も見当たりません。オマワリさんに聞いてみたところ、ひき逃げですって。「ライトが片方、消えている車を見なかったか?」って尋問されました。(爆)
幸か不幸か、被害者は既に居ないみたいでした。近くで葬式か通夜をあげている様子だったので、たぶん喪服に身を包んで宵闇と同化してしまった参列者が轢かれたではないかと思います。カッ飛んだパトカーは捕り物の為ではなく、単に現場急行していただけなんですね。
車に乗っている限り、加害者にも被害者にもなる可能性が大きいものです。特に人身事故は、安全運転と呼ばれるドライビングをしている車でも、不運さえ重なれば簡単に発生してしまうことでしょう。問題は、そういう状況に遭遇した時に、勇気を持って車を停めて、救急車の手配や負傷者の救命措置などができるか否か。私自身も、そういった状況に遭遇した事が無いので、必ず自分の責任を果たすという確信は持てません。魔が差すという事もありますしね。しかし、いくら逃走して刑事・民事・行政の責任を逃れられたとしても、人を殺めたという意識は心の中から消えるときはありません。冷静な判断ができるドライバーになりたいものです。

■ 4/12 (木) ■
今日、初めて重ステ車・・・もとい、ノン・パワステ車のステアリングを握りました。いや、ひょっとしたら軽自動車の重ステは運転した事があるかも知れません。でも、普通車では初めてだと思います。車種はカローラのワゴン(4MT)! さすがに車庫入れなどの時は重さが実感できましたが、普通に走っている時は特に問題ナシですね。総合的に評価して、あれぐらいの重さならマイカーとして許容できるかと思います。しかし、クラウンの重ステとかだと、きっと話が違ってくるのでしょうねぇ。(笑)
それよりも、気になったのはコーナーの立ち上がりのアンダーステアでした。これは重ステが原因という訳ではないのでしょう。FF車かつ前輪タイヤがツルツルで喰い付きが最悪だったせいかと思われます。ふだんFRのオーバーステアに慣れているので、ヒヤッと思う場面が幾度となくありましたよ。
まぁそれでも、古い車を運転するのは、逆に新鮮で楽しいです。っつーか、自分の乗っている車も充分古い車かと思いますがね。(笑) でも、いちおう平成のクルマ! (爆)

■ 4/7 (土) ■
いきなりですが、カープ弱ぇ〜〜!!!
昨年までは守備の課題が目立っていましたが、今年はなんだか攻撃のお粗末さが目立つように思えます。いきなり緒方と前田が離脱してしまいましたからね・・・・。
ボヤいていても仕方がないですね。さて、いよいよこの日記も不定期更新時代に突入しましたので、日記をつけた時には、その日時を左のフレームに表示するようにしました。
今日、何を思ったのか、兄が携帯を持つように強く(っつーか執拗に)勧めてきました。AUのカタログを仰山、持ってきてくれるんだけれど・・・、私だって本当に必要だと判断すれば迷わず持ちますからね。今のところは、まだ大丈夫です。そのカタログの中にCASIOのG'z One(?)がありました。アレって、モニタの代わりにアナログ時計が付いていて、ムチャクチャ硬派な機種かと思っていたのですが、よく見てみると単にモニタが時計を表示しているだけだったのですね。「なーんだ」って感じです。 モニタ無しで機械式時計を装備した携帯があったら、きっと面白いでしょうね。もちろん、電話番号の登録・メールはおろか、自分の打ち込む番号さえも確認できません。(笑) んー、硬派な事この上ないですわ。

■ 4/3 (火) ■
F-1のブラジルGPは、シューマッハは惜しくも2位でしたね。個人的には好きでないクルサードさんが優勝です。(ファンの人がいたら、ご免なさいね) まぁ、今回は派手に横滑りしていたし、完走できただけでもラッキーだったと思いましょう。次に期待!
今年になって初めての野球中継を見ました。勿論、私はカープ・ファン! ダサダサでも、貧乏球団でも、カープ・ファンなんじゃ!!! ・・・ふぅ、でもそんなに酷いアンチ巨人というわけではありません。以前はそうでしたが、所詮、巨人といえどもセ・リーグ6球団のうちの1球団に過ぎないと思えば、目くじら立てることも馬鹿バカしく思えるようになってきました。グランドに立った以上、平等ですからね。話が逸れてしまいましたが、カープは今日も負けましたね。ペナントレース出だしは絶不調です。持ち直してくれるといいですけれど。
イチローのメジャー・デビュー戦は5打数2安打だったとか。日の出でない日本に明るい話題が届いて、良いものです。これからも頑張って欲しいですね!

■ 4/2 (月) ■
今日がクライマックス、そう、最終日の旅行記です。
急いで身支度を整えた前日の朝とは打って変わって、この日の朝はシャワーを浴びたり、テレビを見たり、ゆとりある朝のひと時を過ごしました。(笑)
9時半にホテルをチェックアウトし、せっかく小倉にいるのだから一つでも観光地をと思って、小倉城を外から眺めました。大きくはないですが、天守閣がデップリとしているのが目を引きます。それから、門司を目指しました。小倉からは10kmほどなので、すぐに到着です。
いいですね〜門司港。レトロな建物が散在していて、かつ、近代的に整備されている港が生き生きとした輝きを発しており、心地の良い空間が演出されています。観光の方法もそれと全く同じで、レトロな「門司駅」「旧大阪商船」「旧門司三井倶楽部」「国際友好記念図書館」「旧門司税関」などを訪れる一方、近代的な展望ビルや物産店に立ち寄りました。面白かったのは「旧門司税関」で、中に税関のPRコーナーがあって、そこではワシントン条約で輸入が禁止されている動物を使用した製品が陳列してあったり、偽ブランド商品と本物を比較して並べたり、極めつけは、薬物・銃の展示や隠匿方法を現物で紹介したりしてあったりで、大変ユニークな代物が多かったです。
結局、12時過ぎまでゆっくりしてしまったので、次の目的地の下関へと急ぎました。往路では関門トンネルを利用したので、帰りは関門橋です。それにしても、橋とトンネルの両方で結ばれているなんて、とても贅沢ですよねぇ。
下関では、まず壇ノ浦に立ち寄りました。長州藩が外国船を砲撃したという大砲のレプリカがありました。そのせいで、米・英など4ヶ国連合軍に攻められたのですよね。ここでは平家の滅亡という歴史的な戦闘もされております。それにも拘わらず、往時と殆ど変わらないであろう、山と海が織りなすのどかな風景を眺めるにつけ、「国破れて山河あり」という言葉を実感しました。
他に下関で立ち寄ったのは、「日清講和記念館」「亀山八幡宮」「旧英国領事館」「旧秋田商会ビル」などです。この中でも穴場中の穴場といえば「旧秋田商会ビル」!! まず外観で目をひくのは屋上に建てられた小屋。近代的なビルでは、小さな神道のやしろが建っているのを目にしますが、このようにレトロなビルでは珍しいなと思いました。1階は観光センターとなっていました。2階以上は土足厳禁で、さらに補強工事を施していないため人数規制がされているとのこと。職員の方に声をかけて、名前・住所を記帳して上がります。
これまで、レトロな建物の内部は、外観のインパクトに負けているような気がしたのですが、ここでは違いました。2階3階はコテコテな書院造の広大な和室に、洋室も数室ありました。割合でいうと7:3程度でしょうか。外観から想像される面積よりもずっと広くてビックリです。しかも、完全に住居として考えられて作られた部屋で、ビルの中に豪華な屋敷があるという感じですね。 その上の屋上には日本庭園がありました。当初、やしろだと思っていた小屋は、実は茶室!!! 屋上からさらに突き出た塔があったのですが、そこは立ち入り禁止になっていました。降りてから職員に尋ねると、なんと昔は灯台の役目を果たしていたとのこと!!!! 大正4年に建設された鉄筋コンクリート・ビルらしいですが、同種のビルなのかでは日本最古だそうです。(同種といっても、こんなユニークなビルは、そう他には無いような・・・・) 屋上庭園は日本ではもちろん最古、ひょっとしたら世界的に見ても最古かも知れないのだそうです。むむ〜〜、いいもんを見せて貰いましたわ。
さすがにこれだけ見ると、15時近くになっていました。でも、もう一つ訪れたいところがあったのです。それは島根県西部に位置する津和野町。森鴎外の屋敷を見たかったのですが、このままだと5時を過ぎてしまって見られないかもしれません。それでもやっぱり強引な一人旅、下関インターから高速に乗り、最寄のインターまで直行です。(苦笑) 運悪く空は雨模様になってきたのですが、高速を降りてからも4〜50分くらい爆走しました。それで、旧森鴎外邸に到着したのは16:50頃です。丁度、管理しているお爺さんが、門から出てくるところでした。でも、見たいと申し出たら、中に入れてくれました。(嬉) 決して大きくはない屋敷でしたが、清潔感のある気品が伝わってくるようでした。隣に「鴎外記念館」があったのですが、こちらは残念ながらもう閉まっています。近くに西周の旧宅があるというので、行ってみる。こちらは藁葺き屋根の小さなお宅でした。そこに立てている説明書きで、西周と森鴎外とは血縁関係だったという事実を知って驚きました。
最後に、森鴎外・・・いや、本名:森林太郎のお墓も探しました。空はもう暗くなって、完全にミゾレから雪へと変わっていました。その中で一人墓場を彷徨うのは、気持ちの良いものではありません。(苦笑) それでも何とか発見して、拝む事ができました。
さて、帰らねばいけないのですが、スタンドに立ち寄って給油をしつつも、スタッドレスじゃなくても津和野から脱出できるのか店員に訊いてみる。いや、訊いて正解でした。教えられた道を走ったら、ちゃんと次第に雪が雨へと変わっていくのでした。少し遠回りですが、とりあえずは海岸線に出たかったので、山道を爆走して岩国へ出ました。それから海岸線を通って帰郷。家に到着したのが23時半頃。
以上、たっぷり2泊3日のワケ分からない一人旅でした。
ところで、これを全部読んで下さった方は居られます??(爆)
私自身の為の旅行記を兼ねていますので、長いうえに、きっとあまり面白くないのでしょうね。
そういった経緯ですので、今回のところはご勘弁下さいませ。

さて、ここでお知らせなのですが、わたくし獨酌は4月から急に多忙になる事と思います。これまでは、不定期更新日記と謳いながらも、毎日更新していた嘘つき日記なのですが、どうやら本当の不定期になってしまうかも知れません。(苦笑) 当然、他のページの更新も滞りがちになると思いますが、それでも温かく見守って頂けたら嬉しく思います!

■ 4/1 (日) ■
いよいよ新年度ですね!!! 気張って参りましょー。
ささ、続きの2日目からです。
寝坊したおかげで、高い睡眠料、もとい、延滞料を支払って1時にスクランブル出動しました。財布も痛みますが、時間のロスの方がもっと手痛いですよね。・・・このとき既に、この日の運命は決まっていたのかも知れません。
さっそく、遅れを取り戻すために高速へ乗り込んで、一気に吉野ヶ里最寄のインター(東脊振インター)まですっ飛ばしました。現地に近付いて、高床式の建物が見えてきた時には、大変感動しました。が、それも真夏の夜の夢、一気に落胆の谷底へと突き落とされてしまいました。なぜなら、遺跡は大規模な改装工事のため、3/1〜4/20まで前面公開休止!!!!! 敷地の外にプレハブ2階建ての小屋が建っていて、そこから園内の様子が窺えたのですが、そんなのは気休めにもなりませんよね。まぁ、私の下調べが甘かったというオチです。(号泣)
失意の中、次の目的地を決めかねていましたが、とりあえず久留米市経由で、熊本の天草へ行くことにしました。隠れキリシタンというものにも興味がありましたしね。
しかし、けっこうな渋滞に巻き込まれまして、時間的に観光地が閉まってしまうと判断したので、予定変更して阿蘇に行くことにしました。たぶん、山は閉まらないと思ったからです。(笑)
いや〜、阿蘇路はワインディング・ロードが続いてオモロイっすよ〜〜〜。途中、すごく速いアルトが居りました。テールランプが見えてから、追い付くのに時間がかかりましたからねぇ。「登りなのに、なぜこんなに速いんだろう・・・?」と不審に思いつつも、近付いてドライビングを観察して納得。速さの秘訣はブレーキを踏まないことなのね!(爆笑) それにしても、ライン取りは甘いし、タイヤも細いし、どうやって曲がっているのか不明でした。さて、山頂付近になると、完全に暗くなったので広大な景色の中を走るというワケにはいきませんでした。でも、お昼だと遅い観光バスや車のおかげで、きっとワインディングが楽しめないのでしょうね。
ほぼ山頂に差し掛かるところで、有料道路がありました。もちろん、こんな時間ではとっくの昔に閉まっています。くぅ〜、やっぱり火口は拝めなかったですね〜。それにしても、まったく人も車も居ないなか微かに灰が降る景色は、不気味でしたよ。心細い心境になりましたね。
さて、既に20時近い時刻だったと思いますが、明日に備えてなるべく本州との玄関口(北九州市)に近づきておきたかったで、とりあえず大分市へと車を走らせました。22時半頃に大分に到着、遅い夕食をガストでとりました。せっかく夜で道が空いているので、もっと北上したいと思い、さらにマリイ号にムチ打ちました。温泉街の別府市を突っ切って10号線を登っていきます。おかげで高速とまではいかないまでも、中速道路とでも称したい位に快調に飛ばせました。
小倉に近付くと、変な車が増えてきます。爆音をばら撒く直線番長のSM-Xや、大人数で乗って後ろにウーファーを乗っけているアルト、街中でタイヤを鳴らすセダン、そして暴走族。街中ではビニール袋が散乱していました。(3つくらい風で転がってきたんですけれど、何か動物が襲ってきたのかと思った。) 小倉は駅前からモノレールが走っていたりして、そこそこの街なんですけれど、前述のような汚点が目立ったので、やけに田舎臭い印象を持ちましたね。
小倉に到着したのが1時半でしたので、車中泊を覚悟していたのですが、ダメ元でビジネスホテルを訪ねてみました。「あのぉ、こんな時間ですけど泊めてもらえませんか?」ってね。(笑) あちらも驚いたみたいですが、OKでした。前夜と同じ轍を踏まないためにも、その夜は軽くシャワーを浴びて、自販機で買った500缶ビールを3本だけ飲んでサッサと寝ました。それでも3時を優に越えていたと思います。
その甲斐があったのかもしれませんが、翌朝は7時前に目が覚めました♪
2日目はすぐ書き終わると思っていたのに、結局、長くなってしまいました。本日はここまでにしておきます。









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