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 慈悲と善巧方便にもとづく殺生


岡野潔「釈尊が前世で犯した殺人 大乗方便経によるその解釈」

藤田光寛「〈菩薩地戒品〉に説かれる「殺生」について」


大悲導師(釈尊の前世)が500人の商人を殺して財物を奪おうとした盗賊を殺したという話が『大宝積経』「大乗方便会」にあることは別に紹介しています。
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/issetu.html
この話はどういう流れで説かれたのか、岡野潔「釈尊が前世で犯した殺人 大乗方便経によるその解釈」に説明されています。

岡野潔さんによると、『大宝積経』「大乗方便会」と『大方広善巧方便経』は異訳経典で、紀元前後の成立です。岡野潔さんはチベット訳『大乗方便経』をテキストとしています。

釈尊がカディラ樹で足を怪我した。それは前世において、救済のための方便として盗賊を殺した業報だった。しかし、過去世の業報だと説いたのは、衆生を導くための方便である。仏や菩薩は衆生教化のための方便として殺生することが認められ、仏や菩薩は悪業の業報を受けることはないことを示した。

大悲導師の話は一殺多生を説いていると思っていましたが、一殺多生とは「慈悲の心と善巧方便にもとづく殺生」の一種なのです。
以下、岡野潔さんの論文の要約です。

超越的な仏陀観を掲げる大衆部系諸部派との論争にそなえるため、上座部系の部派は釈尊が世間を超越した存在ではないことを示すために、釈尊の生涯における災厄をリスト・アップし、それぞれ過去世の因縁話を付けて説明した。

『大乗方便経』は、上座部系の仏陀の業報リストの伝承を、すべて善巧方便であって、過去世の業の余殃ではない、仏や菩薩が宿世の悪しき業報を持つことはないと主張して、釈尊の今生の事件と悪業の前生譚の結びつきを切り離した。

小乗上座部系の有する仏陀の業報リストの一つである、正量部が伝承するリストからいくつかをご紹介。

(1)正等覚カーシャパに関し、「禿頭(カーシャパ仏)に悟りがどうしてありえようか。悟りは得難い」と語ったゆえに、その業の異熟として菩薩(釈尊)は[六年間の]苦行をした。
(2)師の命令を破って、なすべき行為をなしたゆえに、五比丘が師(苦行中の釈尊)を見捨てた。
(5)大薬[という大臣]として、敵対する王を分裂させたゆえに、デーヴァダッタが僧伽を分裂させた。
(11)遊女を殺してから、[奪った]彼女の装飾品を勝者(辟支仏)の住処にあずけたゆえに、世尊はスンダリーに誹謗された。
釈尊は前世で強盗殺人を犯したという伝承があるとは驚きました。

上座部系諸部派はこのリストを仏説として正典化し、大衆部系の仏陀観を批判する論争上の聖典的根拠として用いた。大衆部系諸部派は仏陀の業報リストの正典としての権威を無力化するために、その伝承を換骨奪胎して書き換えた。『大乗方便経』は、諸部派が伝える仏伝記事を、仏による方便という立場から解釈し直すことを目的として作られた。

『大乗方便経』の最後に、上座部系の仏陀の業報リストをベースにした如来の十の業繋(釈尊に起こった十の悪い出来事)が示され、釈尊の前世の悪業の残滓による業報と見えるものは、凡夫に業報の不可避であることを知らせるため、釈尊すら例外ではないと誤解させ、衆生を業の力に戦慄せしめるための善巧方便、つまり衆生を教化するための芝居だとする。

釈尊の今世の報いとしての出来事一つ一つに、悪しき行為の前生譚が貼り付けられた。十の業繋、最初が「仏はある時、地面から突き出たカディラ樹の破片を右足に突き刺した」ということである。
この話は2つのパートに分かれている。
Aパート 船上の殺人の前生譚(カディラ樹の破片の怪我に対する前世の業報譚)
Bパート カディラ樹の破片が足に突き刺さった今世の出来事

Aパートの前生譚が大悲導師の物語。
如来は智勝菩薩に説かれた。

昔、五百人の商人が航海した。その隊商の中に、商人に変装した男がいて、「商人たちが財を得たら、商人たちを殺して金品を奪おう」と考えた。商人たちは財を得て、国に戻るため渡海した。
その時、同じ船に乗っていた大悲という隊商主に海に棲む神が夢の中で教示した。
「隊商の中に、『商人たちを皆殺しにして、あらゆる金品を奪い取ろう』と考えている男がいる。この男が商人たちを殺すなら最大の罪の行為をなすことになる。五百人の商人は悟りに向い、退転しない者だからである。もしこの男が菩薩たちを殺したら、各菩薩が無上正等覚に達するまでの期間、もろもろの地獄で焼かれるであろう。そこで隊商主よ、この男によって五百人の商人が殺されることなく、またこの男も地獄に堕ちないですむ善巧方便を考えなさい」
このように教示されると、大悲は「この男によって五百人の商人も殺されず、この者も地獄に堕ちない方便はどのようなものがあろうか」と七日間熟考した。そして、「商人も殺されず、この男も大地獄に堕ちない方便は、この男を殺す以外ない。もし私がこの事実を商人たちに知らせれば、商人たちはこの男を殺し、地獄に堕ちるであろう。私がこの男を殺せば、十万劫の間、地獄で焼かれるだろうが、私は地獄の苦しみを堪え忍べる。五百人の商人が命を失うのはよろしくないし、この男に大きな罪の業が増えることもよろしくないので、私がこの男を殺すべきである」と考えて、大悲は大悲心と善巧方便でその男を矛で突き刺し殺した。
私(釈尊)が大悲だった。五百人の商人たちは無上正等覚を悟る五百菩薩たちである。私は善巧方便と大悲心により、十万劫の間、輪廻を滅ぼし捨て去った。その賊も死後、天界に生まれた。

『大乗方便経』はこの前生譚を次の文で締め括っている。
「その善巧方便と大悲心によって、十万劫の輪廻を滅ぼし、捨て去ったことを、菩薩の業の障礙であると見なしたり考えたりすべきではない。善巧方便であると見なすべきである」

釈尊が前世で盗賊を殺した話は、小乗の経典と『大乗方便経』では大きく違っています。
小乗文献では、前世の釈尊はこの殺人の罪により、死後久しく地獄で苦しみ、さらにその業の残余がカディラの破片の事件となって現われたとする。ところが、『大乗方便経』では、前世の釈尊はこの殺人により地獄に堕ちるどころか、「十万劫の間、輪廻を滅ぼし、捨て去った」とする。

Bパートは次のように説かれます。
舎衛城に、最後身の者(解脱前の最後の生存にある者)20人と、怨敵である20人がいた。そして怨敵20人はそれぞれ「友のふりをして、それぞれの怨敵の家に入り込み、彼らを殺そう」と考えた。
釈尊のもとに40人が赴いた。釈尊は目連に「この場所からカディラ樹の破片が出現して如来(釈尊のこと)の右足の裏に突き刺さるであろう」と語った。カディラ樹の破片が地面に刺さり、如来がカディラ樹の破片の上に足を踏み下ろした。

阿難は私(釈尊)に「世尊がいかなる前世の業の障礙を作られたので、その業の異熟がこのように現われたのでしょうか」と尋ねた。私は「私は前世に大海を航行していた時、奸佞な商人を矛で突き刺して殺した。これはその業の残余である」と説いた。
すると殺害を意図して友のふりをしていた20人は「如来ですら業が異熟するなら、われらにどうして業が異熟しないだろうか」と考えた。彼らはただちに釈尊に「私どもは人を殺害しようと思っておりました。われらは世尊の前で、その過ちを告白しますので、世尊は私たちの告白をお受け下さいますようお願いします」と、罪過を告白した。釈尊は彼らに、業の作用と、業の消滅・業の発動等々の法を教示したので、40人に智慧の現観があった。
釈尊の足にカディラ樹の破片が突き刺さったのは、このような因と縁によるものであり、これも菩薩と如来の善巧方便である。

船上の殺人が前世の業因であることを釈尊が説いた小乗の聖典を論拠にして、小乗徒が前世の悪しき業繋を主張したため、『大乗方便経』の編集者は、阿難への説法を釈尊が自ら否定するという構成を取って、小乗徒が依拠する聖典の権威を無力化することを意図した。

『大乗方便経』では、小乗の聖典が釈尊の足の怪我は前世の殺人が業因であると説いたことは、40人を教化するための方便であり、その怪我も釈尊がわざとやった芝居であって、過去世の業報ではなかったとする。

『大乗方便経』がAパートで前世の業因となった殺人事件を取り上げ、その殺人行為を正当化したことが思想史的に重要な意味をもったことは否定できない。「菩薩が積極的に殺人を犯すことも特定の条件の下ではありうる」という大乗特有の律を示す重要な例として、その後の大乗における戒律の考察に影響を与えた。

特に『瑜伽師地論』「本地分」の「菩薩地戒品」にある三聚浄戒の違反の規定には、『大乗方便経』の菩薩の殺人の記事を参照していると思われる記事である。菩薩の殺人は菩薩戒に違犯せず、それどころか多くの功徳を生じるという。
『大乗方便経』によって、殺生が罪にならない場合もあるとされたたわけです。

「菩薩地戒品」(「戒品」)で説かれる殺生肯定論について、藤田光寛「〈菩薩地戒品〉に説かれる「殺生」について」が論じています。

古代インドにおいて、不殺生 (ahimsa) という教えは、ジャイナ教、 バラモン教などに共通してみられ一般的倫理だった。インド仏教においても、初期の時代から不殺生が仏教の基本的立場だった。

比丘の具足戒において、波羅夷法(これを犯せば僧伽から永久追放)の殺人戒では人を殺すこと、他の人に教唆して人を殺させることが禁止され、さらに自殺や安楽死も否定されている。
在家者は五戒を保つのであるが、その第一が不殺生戒である。

波逸提法(これを犯せば比丘の前で懺悔しなければならない)では、掘地戒(大地に生命があると世間では信じられているので、自分の手で大地を掘ったり、他の人に指示して大地を掘らせてはならない)、伐草木戒(植物に生命がやどるので、自分で草木、樹木を伐ったり、他の人に伐らせてはならない)、用虫水戒(虫が死ぬから、水の中に虫があるのを知りながらその水を用いたり、泥や草の上にその水をそそいではならない)、奪畜生命戒(殺そうという意志をもって動物を殺してはならない)、飲虫水戒(水の中に虫があるのを知りながらその水を飲んではならない) などがあり、人のみならず、動物や植物などあらゆる生き物を殺してはならないとしている。

ところが、インド仏教の基本的な倫理である不殺生に反すると思われる記述が大乗仏教経典に見られる。
「戒品」には、在家の菩薩が有情に対する憐愍(思いやり) の心をもち、利他のための善巧方便として行なうならば、性罪(仏陀によって禁止されているか否かに関係なく、殺生などのように本質的に罪悪である悪行為)を犯しても許容されるとする記述がある。

すなわち、十善戒のうち、①不殺生、②不偸盗、③不邪淫、④不妄語、⑤不両舌、⑥不悪口、⑦不綺語は一定の要件においてであれば犯しても罪にならないとする。もっとも、出家の菩薩には①~⑦のいずれかを犯すことも許容されない。
この場合の「在家の菩薩」とは、世俗社会においてさとりを求めて修行する大乗の仏教者の在家者であれば誰でもというのではない。

不殺生に関して「戒品」に次のように説かれている。
多くの五無間業の行為をなした強盗や窃盗が、多くの生き物、如来、声聞・独覚・菩薩たちを少しの財物を欲しいために殺そうとしている。それを見た菩薩は次のように考える。「たとえ私がこの強盗や窃盗をする人の命を奪って地獄に再生するであろうとも、私は喜んで地獄に再生したい。この有情が無間業をなして地獄におちることなかれ」と。
菩薩はこのような意向をもって、自分のこの意向が善なる心、または無記の心であると知り、他の方法がないので恥じつつも、本来のこの強盗、窃盗をする人に対する哀愍の心をもって(この有情にとって本来において利益となることを考えて) この人を殺す場合、違犯のある者にならず、かえって多くの福徳が生じる。

この個所は望月信亨『仏教大辞典』に「古来、一殺多生の説と称せらるゝ所なり」とある個所です。

「戒品」に説かれる戒律観は、インド中期密教(7世紀頃) の経典にもみられる。
『大日経』「受方便学処品」に説かれる十善戒の解説の中において、その第一の不奪生命戒では、その人の悪業の報いという苦しみから解脱させるために、自分で罪悪なることを受け入れて、恨みの心はなく大悲の心で殺すことが方便行として認められている。

ブッダグフヤ『大日経広釈』では、「受方便学処品」の解説に、「戒品」に依拠して般若と善巧方便をもった在家の菩薩が利他のために、時には十の不善なることを行なっても許されるが、出家の菩薩には許されないと説く。

『理趣経』「降伏の法門」「もしこの般若波羅蜜多の理趣を聞いて受持し読諦し[修習するなどの十法行を]なすならば、[その人はすべての煩悩を既に]調伏することになるから、たとい三界の一切の有情を害しても、悪趣に堕せず、速やかに無上正等菩提を得ることができる」

『初会の金剛頂経』「降三世品」「一切の有情の利益のために、仏陀の教説の故に、もし一切の有情を殺しても、彼は罪悪に汚染されない」

このような考えはインド後期密教 (約8~12世紀) においてさらに展開する。

岡野潔さんは、『大乗方便経』に説かれる、方便としての殺人を肯定する教えは後世の仏教に悪影響を与えたと指摘しています。

釈尊がカディラ樹の破片で怪我をした出来事の前生譚(前世での殺人譚)は、後代の大乗徒と密教徒にとって「菩薩が殺人を犯しても罪悪とならず、逆に福徳を生じさせる場合」として、殺人が許容される場合の判例の役割を果たした。

『大乗方便経』の編集者が船上の殺人の話の扱いにおいて、その殺人行為を英雄譚とし、話の結末において殺人という罪の行為が何ら悪業を生じさせなかったと記述したことは、この殺人譚は後世に禍根を残した。その後の大乗仏教の道徳観の形成に、独善的な傾向性のあるネガティブな影響をも与えることになった。

釈尊が前世で殺人を決意した段階では、菩薩はその業により地獄に堕ちるつもりでいた。慈悲と自己犠牲の精神により殺人を犯したのである。

ところが、『大乗方便経』の編集者が殺人行為に無罪を宣告し、殺人の結果をハッピー・エンドにしたことによって、その行為から自己犠牲の性質が失われてしまった。この法話を聞いた後では、大乗徒たちは殺人という手段が目的さえ尊ければ許され、しかも自己犠牲も必要とせず、人を殺しても得をする場合があることを意識するようになったであろう。そのような打算的な意識が心のどこかにあれば、自己犠牲の行為は穢されてしまう。

人がもし『大乗方便経』のこの殺人譚の幸せな結果だけを見て、「自分はこの行為によって自ら地獄に堕ちよう」という菩薩の自己犠牲の生き方を見ないのであれば、単純に無節操な殺人の肯定に結びつく。

密教の注釈家たちは後期密教における呪殺を正当化する聖典的根拠の一つとして、『大乗方便経』のこの話を挙げる。呪殺とは密教行者が隠れて秘かに行う方法であり、『大乗方便経』の菩薩のような自己犠牲の精神がない。自分が傷つかず、いかなる悪業も受けずに人を殺せることを当たり前のことと考える。殺人請負人のように、他人から依頼されて謝礼を受けて呪殺を行うこともある。菩薩行とはかけ離れた打算がある。

呪殺については正木晃『性と呪殺の密教』が詳しいです。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/a5804d7d0e9183226d9636884b002bed

岡野潔さんはこのように締めくくります。
この話を編集者が釈尊の無業報の立場を取る『大乗方便経』の中に採用したことによって、殺人行為が悪業を発生させず、逆に十万劫の間、輪廻を超越するメリットがあったという蛇足的な記述を、必然的に話の最後に付け足さざるを得なくなった。しかしその蛇足こそがこの英雄譚から自己犠牲の性質を奪ってしまい、後世においては、自己保身のために邪魔な者を抹殺しようとする、虫のよい自称仏教徒たちの卑怯な振舞に口実を与えてしまったように思う。
『大乗方便経』のこの話は、後期密教の思想の影響を受けたオーム真理教が犯した殺人行為につながってゆくのである。

釈尊はいかなる意図があろうと殺生を禁じていることは、律の殺人戒を読めばわかります。
http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono18_r25_010.pdf

ところが、殺人を方便だとして許容し、殺すほうも殺される側も死後に天界に転生すると説いたのですから、オウム真理教のポアの考えと同じと言っていいと思います。

増谷文雄『仏教概論』に「仏教の歴史は異端の歴史」だとあります。だからといって、自分の都合のいいように変えていいというわけではありません。外してはならない基本線というものがあります。仏教では縁起と不殺生だと思います。

釈尊が前世で、盗賊を殺すことによって多くの人命を救ったということだけなら許容範囲かもしれません。しかし、盗賊を殺すことで盗賊が地獄に堕ちることを防いだのだから、殺人者は罪報を受けることはないとし、さらには盗賊は殺されたことで天界に転生したと説くのですから、不殺生という仏教の基本線を越えています。

戦前の仏教界は、兵士が戦争で敵兵を殺すことを菩薩行だと賞賛しました。釈尊の前世だけに認められた慈悲と善巧方便にもとづく殺生(一殺多生)を拡大解釈したのです、外道に堕したわけです。