幸せを拾い集めて
今朝の新聞に
健康情報雑誌『ゆほびか』の目次が載っていて
「納豆美容液」なんていうものがあるよと
母が教えてくれた
普段から手作り化粧品の情報集めには余念のないわたしだから
今日買い物に行く時に立ち読みするぞ〜と
勇んで出かける
こういう時にはバッグには手帳を忍ばせ
本屋さんでは必死でつくり方と分量を頭に記憶させておいてから
スーパーの片隅に移動してゴソゴソとメモする
で、ついでに材料の納豆を買ってかえる
その時雑誌をぱらぱらとめくるうちに
花粉症にニガリが効くとの情報があり
それはメモまではしなかったけれど
とにかく毎日薄めたニガリを飲み
目を洗ったりするのにもニガリを使うといいらしい
うちではちょうど夫が今日から
「目がかゆい」と言っている
ニガリは豆腐つくりのためにいつも常備しているので
さっそく規定量に薄めて勧めてみる
ニガリ原液は苦すぎて飲めたものではないが
1600倍にも薄めれば
「ちょっと後口の悪い水だな」
という程度だそうだ
これを一日100cc、2回に分けて飲む
効くのか効かないかはわからないが
何かやってる満足感があるだけ良いかもしれない
何しろ病気の8割は心理的なものから来ているらしいので
アレルギーだってストレスが減ればなくなるかもしれない
納豆美容液には
納豆を水で洗ったネバネバ水溶液を使うので豆が残る
当然捨てる事はしないでこれは肥料つくりにまわす
”捨てればゴミ、生かせば資源”
公民館の資源ごみ収集倉庫に書いてあるように
なるべく捨てずに使い切ることを常に考えているので
うちはゴミがあまり出ない
さて、その納豆美容液の使用感だが
ネバネバで作るのに
使うとさらっとしていて気持ちがいい
匂いはやや納豆くさいが
普段から発酵肥料の匂いに慣れているわたしには無臭みたいなもんだ(笑)
(気になればレモン汁でもたらすといいらしい)
ちょうど3週間前になるだろうか
やはりこの雑誌で仕入れた情報から「豆乳ローション」を作ったが
(つくり方については1月30日のひとりごと参照)
この使用感はかなりいい
とにかくお肌がつるつるしてきて何だかシワが浅くなったような・・^^
いや、それほどじゃないにしても
これはかなり効果が期待できるのではないかと思ってしまう
どうせならこの豆乳ローションと納豆美容液を一緒に使ったらどうかなと思うので
さっそくぬりぬり、、、
わたしはここ数年庭の手入れで紫外線を浴びる機会が増え
どうも年々肌の調子がよろしくない
それは単に年のせいでしょう〜とも認めたくないので^^
こんな風にジタバタしながら楽しんでいる
そう
作るのも楽しいし、使うのもまた楽しい
それで効果があれば一石三鳥
さらに楽しい♪
こうして色々と小さな発見を楽しみながら
わたしはいつも『青い鳥』の物語のことを思う
幸せの青い鳥を求めてあちこち旅をするけれど
その青い鳥は家の中にいた
”幸せは意外と身近なところにころがっているもの”
遠回りしてようやく気づく
よく「自分には何もない」と言って嘆く人がある
でも
今もっているものを十分生かしているだろうか
その目の前にあるものが見えていないのではないか
結局何もしようとしていないのではないか
幸せはいつも身近なところにあって
そんなに背伸びして遠くばかり見つめていなくても
結構足元にごろごろころがっているものだ
あとはそれを自分が手を伸ばして拾い集めるだけ
先日スーパーで見かけた二人の女子中学生
ぎゃはははと高笑いしながら
夜中に原付を乗り回した話をしている
最近はどう見てもマトモとは思えない子どもが増えてきた
きっと何か面白くない事があるのだろう
というか、面白い事が何もないのかもしれないし
あるいは
面白い事を知らないのかもしれない
こういう子ども達というのは
ただ遠くをぼーっと見つめて生きているのではないかと思う
そこに見える蜃気楼の世界は
華やかで美しいけれど
自分には届かない
だから一生懸命生きててもつまらない・・と短絡的になる
もし自分の立っている足元を見ていれば
手の届く世界がそこにはある
でもそれを教えてくれる人がなければ知らないままだ。。
『青い鳥』の物語は
探し求めた青い鳥が実は家の中にいたという結末から
”子供にとっての最大の幸福は我が家であり,母の愛であることを教えようとした”
と、ある訳本家はいう
正直なところ子守りが大の苦手で
子育てについて・・・などと論じる事もできないようなわたしだが
ただいつも頭にあるのは
この子たちが地に足をつけて生きていく術を教えておきたいということ
遠い夢物語はさておいて
近場の幸せをどう拾い集めて生きていくのか
もし貧乏する事になっても
できる事が必ずある
これが
子どもに対して目に見えるような財産を残すわけにもいかず
かといって
子どもたちをいつまでも元気で生涯守り続ける事もできない
大多数の親たちが唯一あらわすことのできる
精一杯の親の愛というものではないかと思う
子どもの問題で相談があるとき
本気で真正面から取り組んで何でもやってみようという親と
まるでよその子の事のように人任せの親がある
問題が長引けばいつか疲れてしまうのもわかるが
子どもの問題は親以外に解決できない場合が多い
どんなにこちらがああしてこうしてと長々と話をしても
親が動かなければ事態は動かないのだ
アドバイザーは所詮他人だから
親子の絆には立ち入れない
さて、昨日は
豆腐つくりのために選別された生育不良大豆を
よく煮てミキサーにかけ
滅菌したビンに入れて乳酸菌培養を始めた
この前までビール酵母培養液のビンを持ってうろうろしていたのが
今度は乳酸菌になったのが可笑しくて母が笑う
夫も
「今度は何だそれ?」と妙な顔をしている
本で読んで以来、この培養法を試してみたいと思っていたが
わざわざ大豆を買って試すのもちょっと・・と戸惑っていた
そこで気づいたのがもらった自家製大豆に混ざっている不良品
ほらほらちょうどいいものがころがっているじゃないの(喜)
明日はまたどんな楽しみが待っているのだろう
そう思うとわくわくする
この前からずっと押入れの整理をと思いながらそのままになっているので
近いうちにごそごそ探ってみたい
何か忘れているものが出てきそうな気がするのだ
お庭に出ればもうバラの新芽が伸びている
もうすぐ嬉しい春
種まきして育てた苗もだいぶ大きくなった
この一年
大きな問題を乗り越えながら成長した家族
その日々を思い起こしつつ
小さな苗をじっと眺めているだけで
至福の時が流れていく
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