-西中国キリスト教社会事業団と歩んだ道-
2015年度教会のあゆみ
広島西部教会牧師 山根眞三
被爆70年の年、古い停車場(広島西部教会)が原爆消失から再建され65年の年を迎えました。
信徒の友が被爆70年の取材の一環としてこの古くて小さな停車場(会堂)の再建記念礼拝に取材に来て下さいました。
65年の拙い歩みを回想することができました。そんな拙い歩みに少し反響があり、どんなに小さな歩みであったと
しても平和を求める歩みが大事であることをしめされました。安保法が成立し、集団的自衛権が政府レベルで正当化
されたとしても、小さな停車場にとって決して認められるものではないことを主張していきたいものです。
その年度に停車場再建に尽くされた島崎須磨さんが銀河鉄道の乗客になりました。銀河鉄道の列車がやってくることに
とても深い寂しさを思いますが、この古い停車場をもっともっと大切にしていかなければならないことを示されている
のだと思います。また村上親子さんをもその乗客に加え、さらにこの停車場を尋ねられた長谷川はるみさんをも銀河鉄道
の乗客としてお送りしました。ただ、長谷川はるみさんを銀河鉄道にお送りすることで夫の慶蔵さん、息子の晃一さんに
この小さな停車場に通うきっかけが与えられました。大きな神様のみこころと恵みを感じています。
これは、長谷川はるみさんのお働きに思えてなりません。深い交わりへと進んで行きたいと願っています。
停車場の待合室は年々寂しくなってきました。施設に入所することによって来られることがままならなくなった
川上さんご夫妻、中田さんがおられます。更に今も若い友が停車場への思いを抱きながら病院におられることを祈らずにはおれません。
昨年まではご高齢の方々が毎週停車場にやってこられ、神様から伝えられる列車の音を聞いたりしていましたが、
そんな感謝の思いが少し小さくなりかける時、神様は島崎史朗さんが停車場にお元気で毎週欠かさず来られる姿を示してくださり、
駅長をはじめ、待合室にある同信の友に大きな感謝と恵みを与えてくれました。
若いとは言えない停車場のメンバーが島崎史朗さんの信仰に励まされ、この停車場を守り続けたいと思います。
そのような中で、停車場の線路が鹿児島にまで続いてしまいました。これからこの路線をどう活用するかが今後の課題
ともなるのでしょう。濱田さんご夫妻がこのための良き援助者となってくださることでしょう。
次に今年も多くの実りとして予算を遥かに超えるクリスマス献金が捧げられました。小さな停車場が遠くにある方々に
覚えられていることを本当に感謝で一杯になりました。またそれらの献金を生かし、小さな停車場にも拘わらず全収入の
一割に当たる61万円を対外献金として東日本大震災の被災の三教区をはじめ、事業団等さまざまな働きのために捧げる
ことができました。本当に感謝です。
このような状況の中でも、少しずつ若い光が与えられています。剛家さんのヘルパーさんが、その補助の働きを通して
信仰への道を示されたことは本当に大きな感謝です。
ところで古い停車場が一昨年より進めてきた月一回のレコードコンサートはとても祝福された場として定着し、今年も
感謝の中で報告できます。古い停車場に響くレトロなメロディーが駅舎の素晴らしさを教えてくれます。
停車場の子ども部屋(教会学校)はここ数年開店休業状態でしたが、今年は再開をすることができました。初めは一名
だったものが、このところ人数も少しずつ増えてくるようになりました。核になった最初の上野桃子さんの存在がとても
大きいかと思います。停車場の幼児の家(めぐみ幼稚園)の働きは、園長を筆頭に保育者一人ひとりが自覚と子ども達への
限りない愛と受容を目指しつ精一杯、理想に燃えて運営されています。今年も日常の充実した保育活動に加え、楽しい計画、
広島平和祈念コンサートでの演奏、大朝祈りの家でお泊り保育、寒曳山スキー場での雪遊び、苺摘み等々と一杯実行する
ことができました。心から感謝です。
幼児の家の運営を考え、祈るために東京から必ず長本さんが理事会に出席され、さらに停車場での交わりを深めて下さいました。
来年には長本さんご夫妻が帰広されることに大きな夢と希望を抱いています。本当にありがたいことです。
この小さな停車場が幼児の家の精神的、経済的に大切な支えとして働くことができていていることは特筆に価します。
停車場の人々の祈りの深さ、豊かさを示すものでしょう。主イエスが子ども達の世界こそ神の国だと言われたその言葉の
真実を求めて、共に歩んで行き、子ども達から希望と力を得て行きたいと思います。
停車場が1年の時の流れの中で掲示できる働きはほんとうに小さく、人々から忘れられてしまわれるようなものでしかありません。
そのような中で、駅長は教誨師、保護司としての働きを進めることができております。停車場の人々豊な祈りと寛容に
よって支えられています。
特筆すべきは停車場が創立九〇年を迎えることが出来たことでしょう。駅長の怠慢のゆえに特別な集会も行事もしませんでしたが、
いつも日常の歩みをこそ大切にしたいとの駅長の生き方なのでしょうか・・・?
停車場に出入りされる方々への配慮が不足するにも拘わらず、定期乗客であるメンバーが駅長の働きを覚え共に
祈り支えてくださっています。多くの不安と心配を抱きながらも、今年も神様の恵みを報告できることを心から感謝します。
世間的には駅長も所謂定年の年齢を超えてしまいましたが、停車場に出入りされる方々が、神様に励まされ、
導かれて停車場をとても大切にされている力を得て、一層この停車場を愛し、この停車場と共に歩みたいものと決意しています。
ゆっくりとろとろとした歩みながら、その歩みの中に大きな大きな神の愛を覚えて歩んで行きたいものです。