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いくつになっても人は何かを学ぶことができる。 クリント・イーストウッド 人間関係で生まれた傷は、人間関係の中でしか癒せない。 和久井みちる『生活保護とあたし』 みなさんは「差別」の反対語は何だと思いますか。「平等」と答えるかもしれませんね。しかし「差別する」とは言いますが、「平等する」とは言いません。つまり「差別する」という動詞に対応した反対語が何かあるはずなのです。名詞としての「平等」は、その動詞の結果生まれる「状態」のことでしょう。私はそれを「尊敬」だと思っています。 上杉聰『これで納得!部落の歴史』 膝をすりむいた幼児が、すぐに母親の顔を見る。母親が心配そうな顔をしていなければ、その子は泣かない。しかし母親の顔に心配そうな表情が浮かんでいると、大きな声で泣きはじめる。 ブルース・D・ペリー『犬として育てられた少年』 我々は、他人を差別せずにはいられない生き物なのだ。問題は、その差別意識を自覚しており、それが不当であることを知っており、そんな己を恥じる気持を持つかどうか、だ。無意識の差別、無意識の偽善ほど、醜いものはないのである。 中村うさぎ『私という病』 考えるということは、自分の問いに明確に向き合うことなのだ。 西研『哲学の練習問題』 考えを進めていくことができずにグルグルまわっている。―そういうときに大切なのは、問いそのものを吟味するということだ。つまり、「死んだらどうなるか」という問い自体に向かって、〈なぜこんな問いが気になるのか〉〈考えて答えが出る問いなのか〉、つまり〈どういう問い方をすれば、根っこより考えたことになり、かつ考えを先に進めていけるのか〉と問うてみるのである。 西研『哲学の練習問題』 人はしばしば、いちばん大切なこと(問題の核心)にまっすぐに向かわずに、それを不適切なかたちでというのである。 西研『哲学の練習問題』 今日という日は、残りの人生の最初の一日。 『アメリカン・ビューティー』 道を知っていることと実際に歩くことは違う。 『マトリックス』 世の中は美しい。それを見る目を持っていればね。 『聖メリイの鐘』 理想を求めるのはいいことだが、理想どおりでなければ真実ではないと思ってしまう心性は、このうえなく危険である。 長山靖生『偽史冒険世界』 医者には患者の心までは救えない。弁護士だって同じだ。医師や弁護士は、ただの職業であり、その職分の範囲内でしか、頑張りようがないのだ。その範囲を超えて、人間を救いたいと考えるのは、一見、素晴らしいことのように見えるが、実は自分の力を過信した、不遜で傲り高ぶった、非人道的な態度にほかならない。 長山靖生『偽史冒険世界』 傲った知識の持ち主(未熟なエリート)や騙されやすい経験者(修業や神秘体験にひたる者)は、安易に判断を下してしまう。一生考え続けても結論が出ないような問題に、簡単に結論を出してしまう。 長山靖生『偽史冒険世界』 人間は、タダで得た権利だと大切に思わなくなる。 塩野七生『ローマ人の物語』 誰でも持っているということは、誰も持っていないと同じことなのだ。 塩野七生『ローマ人の物語』 人間とは、事実だから信ずるのではなく、事実であって欲しいと思う気持さえあれば信じてしまうものなのである。 塩野七生『ローマ人の物語』 権力者は、たとえ憎まれようとも軽蔑されることだけは絶対に避けねばならない。最高権力者が自ら墓穴を掘るのは、軽蔑を買う言動に走ったときなのだ。 塩野七生『ローマ人の物語』 自分はもっとも幸運な人間だと思う。もし、生きて戦いの最後を見届けられなくても、自分には達成感がある。自分や仲間たちは架け橋としての役割を果たしたのだから。ひどい過去から、ひどいことがもう二度と起きない未来への架け橋としての。 ジェニファー・ハーバリー『勇気の架け橋』 人間はまず人間を信じなくてはならない。それさえできれば、他のことは万事うまくいく。 カレル・チャペック 正しい質問には正しい答えが含まれています。迷うのは問いの立て方が間違っているからです。 天願大介『AIKI』 進化した社会とは、不完全なものや欠陥のあるもの、あるいは予想外のものともきちんと向き合い、それらを受け入れることで、かえって魅力溢れる素晴らしい特徴を生み出す社会だ。 マイケル・S・ガザニガ『脳のなかの倫理』 自分を、違う人間にしうると考え、自分の考えている理想像に近づけることが生長であると考えた。(略)私というものは、けっきょく、私になりえたということに過ぎない。(略)私が私になりえたら、大したことではないか。私ははたして私になりえたか。 高見順『闘病日記』 ぼくたちには政治が必要なのだ。さまざまな利害の衝突を暴力に訴えることなく調整するために、ぼくたちの力が対立しあうのではなくたがいに加算されるために、戦争や恐怖や野蛮からまぬがれるために、政治が必要なのだ。 だからこそ、ぼくたちには国家が必要なのだ。人間たちが善良で正しいからではなく、むしろその逆だからこそ、人間たちが連帯しているからではなく、じつはしていないにしてもそうなる可能性がなくはないからこそ、国家が必要なのだ。 アンドレ・コント=スポンヴィル『哲学はこんなふうに』 自分はどこかおかしいのではないかと考えている人間はまだ大丈夫。危ないのは、自分はおかしくないと思っている人間だ。 佐高信『日本は誰のものか』 学問とは、不思議、疑問、問題点を見つけ出し、調べ、何が正しいかを自ら考えていくこと。 斗鬼正一『目からウロコの文化人類学入門』 人々が平和に、摩擦なく共生していくための要件は、自民族中心主義をいかに弱めるかなのである。 斗鬼正一『目からウロコの文化人類学入門』 オウム真理教はニセモノの宗教で、仏教はホンモノの宗教だ、などという区別は、しょせん仏教者の独りよがりにすぎない。 末木文美士『仏教VS.倫理』 不思議なことに、ナショナリストがもっとも強固な侵略主義者となることが多い。自国の誇りは持つものの、他者が侵略されたときの痛みにはまったく鈍感になるのである。これははっきりいってナショナリストとはいえず、単なるエゴイストであるにすぎない。自分の利益になるならば、他人の家に勝手に押し入って強盗をしてもよいという自分勝手な論法とまったく同じである。そのような人は、自国にとっても危険きわまりなく、断固として批判し、否定しなければならない。 末木文美士『仏教VS.倫理』 道徳教育で立派な子供ができるのであれば世話はないが、まともに道徳教育をコドモが信じ込んだらどんな結果になるのかは、戦前の社会がよい見本を示している。今でもまた同じことをくり返したいオトナたちがゴマンといるようだが。 末木文美士『仏教VS.倫理』 涙が出ないと自分が不人情かと思ってあせってしまうのが葬式で、うき世のけじめと云うものだ。 佐野洋子『神も仏もありませぬ』 そして、私達はおびえている。自分達もまた、家族にとって、ストレスだけの存在になるのだ。いやもうなっているかも知れぬ。核家族に、老人は支えきれないのだ。 佐野洋子『神も仏もありませぬ』 学ぶということは、絶えず自分をつくり変えていくことだ、とわたしは思っております。 それでは何が変わるのだろうか。それは、ものを見る見方・考え方が変わり、生き方が変わるということです。 林竹二『生きること学ぶこと』 物事に驚くこと、不審に思うことは、理解しはじめることである。しっかりと見開かれた瞳にとっては、この世にあるすべてのことが驚異であり、不思議である。 オルテガ 生身の人間の行動は、ある行動をしないで、それを抑制するという状態をも含めて、それはいつも揺れ動いている過程にあります。人間はどういう状態においても、揺れ動くということから自由になるものではありません。そしてこの揺れ動くという状態において、人は自分自身を何かの根本的な価値基準によって支える必要があり、その根本的な価値基準は、宗教と呼ぶことができます。 鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』 まちがいのなかに含まれている真実のほうが、真実のなかに含まれている真実よりわれわれにとって大切だと考える。まちがいのなかの真実をもっと注意深く定義するとすれば、私たちがまちがいを通して得ることのできた。 鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』 善事は罪悪感を抱きながらせねばならない。 亀井勝一郎『愛の無常について』 動物が迷信を知らないことは、ほとんどまちがいない。 H・ベルグソン『道徳と宗教の二源泉』 ぼくたちは、「友だちのたくさんいる子供は、いい子供」という幻想を刷り込まれている。友だちを一人でも多くつくることを、ぼくたちは無意識のうちに強いられているのではないか。ひとりぼっちを恐れる気持ちは、この時代を生きる誰にでも、ある。 重松清『隣人』 愚痴というのは、自分が正しいことをしているのに相手が承認しない、相手に認めてもらえないという恨みがましい攻撃的心性から発生している。しかし自分が正しいということは何も保証してくれない。だから話し相手に自分の正当性を、強要して同意させる、という屈折した心理的作業なのである。 愚痴を聞くというのは自分の判断を捨てて空虚にならなければできない仕事である。 高橋紳吾『超能力と霊能者』 不幸は論理ではなく、感情なのである。その感情にたいして、論理的な解答を求めることはできない。 高橋紳吾『超能力と霊能者』 不安とは未来志向的な気分である。だから過去が長く未来の短い老人よりも、長い将来はあるが過去の短い若者のほうが日々の暮らしのなかで不安を抱きやすい。若者に超常現象への親和性が高いという調査結果が繰り返し報告されるのは当然のなりゆきである。 高橋紳吾『超能力と霊能者』 人は自分を受け入れる程度にしか他人を受け入れることができないのです。 加藤諦三『アメリカインディアンの教え』 自己無価値観に悩んでいる父親が、子供に自分の価値を認めてもらいたい、家族に自分の価値を認めてもらいたいと考え、家族を自分の悩みを解決するための手段にしてしまうのです。 加藤諦三『アメリカインディアンの教え』 喜びの数を裏返すと感謝の心でもある。人間の情緒は感動の数によって育てられる。 馬場昭道『ラダック紀行』 |