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熊野町の民話

むかしむかしのことです。そのころ、いくさに敗れた武士がこの熊野村に住みつくようになりました。
この山のふもとか中腹あたりに、みすぼらしい家を建てて住んで いました。
食べる事にも不自由な思いをして暮らしていました。
毎日水を、山のふもとに流れている川からかつぎ上げねばなりませ んでした。これは大変な仕事です。
家にたどり着いたときには、おけの中の水が半分にも減っていることがたびたびありました。
とちゅうでのどがかわき、そのおけの水を飲まなければどうすることもできなかっ たのです。



権次は体が弱く、この暑さではおけの中のくみ上げた水を飲まずにはおられません。
少し登っては飲んでいるうちに、家に着いたときには、もうおけの中の水は一しずくもありませんでした。
権次は善三(ぜんぞう)にくらべると、そのしかられ方も大変なものでした。
「もう一度くんできておくれ。おまえみたいなやつは初めから預かって育てるんじゃなかったよ。 いいかい、水をくんでこない限り、食べさせてもらえるなんて思いもするんじゃないよ。」 かなは、きびしくしかりました。
善三というのは、かなのお腹をいためた子でしたが、権次は病弱であっ た女を助けたばかりにひきとることになってしまった子です。

 

権次は、水くみの当番役です。この仕事は権次にとって一番つらいことでした。それでも権次はがんばり続けました。
「よいしょ、よいしょ。」と、ひとり言を言いながら、けわしい山の坂道を登っていくのです。
重くてやり切れません。まるで生き地獄(じごく)の中にいるようでした。
こんどこそ水を運ぶことができたと思って、「よいしょ。」と、そのおけをおろすと、おけの中は同じように一しずくもありませんでした。
水が入っているように重たかったのは、空のおけが重かったからでした。
権次はがっかりして、そこにある岩の上にすわりこみました。
あたりはうす暗くなっていました。お腹がすいた上に、おけには水もありません。 もう働く気すら起こりません。 権次は、涙がにじんでくるのをどうすることもできませんでした。
涙を流すまいと思って歯をくいしばっても、涙はあふれ出るのでした。
その涙は、腰かけている岩の上をはい始めました。

その後、権次がどうなったか知る人もありませんが、そのことがあってからというもの、不思議なことにその岩から水が流れ出したということです。
村の人たちは、「あれは権次の涙じゃ。」 と言い、いつの間にか「涙石(なみだいし)」と、名づけるようになりました。
ついこの前まで、涙石のうえから水がいく筋も流れていたということです。
この涙石は、呉地奥の苗代線沿道の山中にあります。

-物語:熊野町史より参照参考-